高富藩本庄家下屋敷跡

マーカーは高富藩本庄家下屋敷跡です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP599・コマ番号343/553から高富藩屋敷の変遷について記載されています。P601・コマ番号344/553「下屋敷 深川大和町」がこの地になります。

本庄道美
[本庄 道美(ほんじょう みちよし)は、美濃高富藩の第10代(最後)の藩主。
文政3年(1820年)2月17日、第9代藩主・本庄道貫の長男として生まれる。安政5年(1858年)、父の死去により家督を継ぐ。安政6年(1859年)に大番頭、文久3年(1863年)に二条城定番慶応3年(1867年)に雉子橋御門番などを歴任した。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府に協力した。
明治2年(1869年)6月の版籍奉還知藩事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官された。  (wikipedia・本庄道美より)]

国際日本文化研究センター – 本所深川繪圖(安政5・1858年)」(絵図上中央左上・富岡八幡宮右下に本庄安藝守(本庄道貫)下屋敷が描かれています。)

カメラ位置は鶴歩橋西交差点で、カメラ北西方向が高富藩本庄家下屋敷跡になると思います。(高富藩本庄家下屋敷跡範囲:江東区冬木6)