麻生藩新庄家下屋敷跡

マーカーは麻生藩新庄家下屋敷跡です。

関連リンク – 麻生藩新庄家上屋敷跡

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP791・コマ番号439/553から麻生藩屋敷の変遷について記載されています。P792・コマ番号440/553「下屋敷 深川小名木沢 南葛飾郡八右衛門新田」がこの地になります。

新庄直敬
[新庄 直敬(しんじょう なおたか)は、常陸麻生藩の第15代(最後)の藩主。
文政元年(1818年)、麻生藩分家である旗本の嫡子新庄長門守直孝(3000石)の長男として生まれる。天保8年(1837年)に徳川将軍家小姓として仕え、8月25日に従五位下下野守に叙位・任官する。安政元年(1854年)、父が早世していたため、祖父から家督を相続する。慶応3年(1867年)の藩主・新庄直𩑛の夭逝により、新たに本家を相続して15代藩主となる。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府に恭順し、4月には水戸藩浪士の追討を務めている。明治2年(1869年)6月24日、版籍奉還により麻生知藩事に任じられ、藩校精義館の創設や藩の職制改革に務めた。明治4年(1871年)7月の廃藩置県により、知藩事を免官される。  (wikipedia・新庄直敬より)]

東京都立図書館アーカイブ – 本所深川絵図(文久2[1862]改正)」(絵図中央左方向・小名木川上方向に新庄駿河守(新庄直彪)下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 深川十万坪ヨリ中川海手迄 : 天保一一(1840)年八月ノ形」(絵図四つ切左上・小名木川通り右方向に新庄主殿頭(新庄直計)と記述されています。)

カメラ位置は江東区北砂2丁目16の南西部、ショッピング モールアリオ北砂北西交差点で、カメラ南東方向のショッピング モールアリオ北砂の一部を含む、カメラ位置周辺が麻生藩新庄家下屋敷跡になると思われます。(麻生藩新庄家下屋敷跡範囲:江東区北砂1丁目19,江東区北砂2丁目16,17)