マーカーは与兵衛ずし跡案内板です。
与兵衛ずし跡
[かつて、握り鮨を発明したともいわれる「与兵衛鮨」の店が近くにありました。蔵前の札差板倉屋の手代だった華屋与兵衛はお店風の風流が身にしみて、それが高じて不相応なぜいたくをして身代をつぶし、いろいろな商売替えをして本所横綱の裏店に身をひそめていました。しかし、道楽中に覚えた味から握りのこはだ鮨を考案し、それを岡持ちに入れて夜の繁華街を売り歩くと握り鮨の味が江戸っ子に受けて飛ぶように売れました。やがて屋台を出し、ついには「与兵衛鮨」という店を構えるようになりました。 (「本物が生きる街 | 一般社団法人 墨田区観光協会 – 与兵衛ずし跡」より)]
与兵衛寿司(與兵衛寿司)
[文政7年(1824年)に両国尾上町(東両国)回向院前に華屋与兵衛(小泉與兵衛とも)が華屋と称して開業、大繁盛した。すしに山葵を使ったのは與兵衛が最初なので、一般には「與兵衛が握り寿司を考案した」とされる。しかし華屋の流れを汲む両国与兵衛寿司は関東大震災の影響もあり、昭和5年(1930年)に閉店。 (wikipedia・江戸三鮨より)]
カメラ西方向・街路樹右に与兵衛ずし跡の案内板があります。