マーカーは柳島橋です。
北十間川・横十間川合流点
[江戸時代、明暦の大火後の本所開発の一環として、源森川は材木輸送のため万治年間(1658年~1660年)に、北十間川は農業用水のため1663年(寛文3年)に開削された。当初両川は繋がっていたが、隅田川増水時の洪水被害が著しく、1672年(寛文12年)には間に堤が築かれ、分断された。1885年(明治18年)に住民の要請で源森川と北十間川が再び接続された。これにより旧中川と隅田川が最短距離で結ばれることとなり、業平橋駅(現とうきょうスカイツリー駅)で鉄道貨物とも連携して下町の物流に重要な役割を果たしたが、戦後舟運は衰退し、重要性が低下した。1978年(昭和53年)には大横川との分流点に北十間川樋門が設定されて航路が再び東西に分断され、また現在横十間川、曳舟川などかつての接続河川は多くが埋め立てられており、水運の役目はほとんど果たされていない。
広重『名所江戸百景』「柳しま」。絵の中央の川が北十間川、絵の下の川が横十間川、左上の山は筑波山。wikipedia-photo (wikipedia・北十間川より)]
柳島橋
[柳島橋は墨田区業平五丁目と江東区亀戸三丁目を結ぶ橋で、平成元年に架替えられました。創架年は不詳ですが、享保3年(1718年)には橋の名前の記録が残っています。
この橋のあるところは北十間川と横十間川の分岐点で、柳の木が多かった所だったそうです。そのため柳島という地名となったようで、橋の名前もそのまま付けられましたが、俗名は門前の料理屋「橋本又兵衛」にちなんで又兵衛橋と呼ばれていました。墨田区側橋詰めには柳島妙見「法性寺」があります。 (「ユートリヤ/すみだの川と橋/横十間川に架かる橋」より)]
名所江戸百景[歌川(安藤)広重](柳しま (現在の墨田区業平5丁目付近)・wikipedia-photo)
柳島橋資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 北本所横川ヨリ亀戸迄 : 天保一一年八月ノ形」(絵図拾間川と北拾間川の接点に柳島橋が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本所絵図」(絵図右上・十間川に柳島橋が描かれています。また、この絵図では、北十間川と源森川が分離して描かれています。)
横十間川・柳島橋からのスカイツリーです。
カメラ位置は北十間川・横十間川合流点で、カメラ南方向が横十間川・柳島橋です。