堀部安兵衛住居跡

マーカーは立川第二児童遊園です。

堀部安兵衛住居跡
[元禄15年12月14日(1703年1月30日)午後、同士は両国橋西の米沢町にあった堀部金丸(弥兵衛)の借宅に集まり、その後3か所の集合場所に分かれた。吉田兼亮らは集合場所の本所林町5丁目にある堀部武庸(安兵衛)の借宅に行く途中、竪川の河岸地にある「亀田屋」という茶屋でそば切など食べながら時をすごした。それぞれの集合場所から本所吉良屋敷裏門近くの前原宗房(伊助)の借店を経て、表門隊と裏門隊の二手に別れて吉良邸に討ち入った。  (wikipedia・元禄赤穂事件討ち入り」より)]

松之大廊下の刃傷(元禄14年[1701]以前の「元禄6年[1693]の「[江戸図]」・「ru11_01193_p0011.jpg」[元禄6年時点では、吉良上野介が屋敷替えになる土地は御竹倉となっていて、松平信望(5000石の旗本)の屋敷地にもなっていない。信望は元禄11年の勅額火事後の11月に本所御竹蔵跡地に屋敷(土地のみ)を拝領した。元禄14年(1701年)8月12日、信望は下谷町野酒之丞のものだった屋敷を拝領し、本所屋敷から立ち去った。このあとの8月19日、吉良義央が江戸城お膝元の呉服橋からここへ移されてきた。(wikipedia・松平信望より)
また、絵図の両国橋が2箇所描かれ左側の両国橋が×になっている、「七味発祥の地「両国橋界隈・江戸の歴史」 – e-mansion IS」に『両国橋」は万治2年(1659年)架けられたが、天和元年(1681年)12月の水害で流失、元禄9年(1696年)完成したが、この地図の橋は「仮橋」で、浜町寄りに在った。』とあるので、この絵図は元禄9年(1696年)両国橋再建後、仮橋(両国橋)を×で消して再建をされた大橋を書き加えたもののようです。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 深川絵図

[南本所竪川辺之地図 / 村上吾雄 誌」・「bunko01_01855_p0006.jpg」(二之橋南東から林町が始まる。)、「bunko01_01855_p0007.jpg」(林町五丁目は三之橋の二ブロック西・現在の墨田区立川3-15付近。)

堀部安兵衛道場跡 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向・立川第二児童遊園がある一画に堀部安兵衛住居があったようです。

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