北十間川(境橋)、祐天堂

マーカーは祐天堂です。

北十間川(境橋)
[墨田区文花一丁目と江東区亀戸三丁目を結ぶ橋で、現在の境橋は昭和49年11月に架けられた橋です。この橋は万治年間(1659年以降)の北十間川掘削時に架けられた3本の橋のうちの一つです。
 昔の地名で、南の境町と北の請地村というところを結んでいた橋ですが、この川の北側を葛西領本田筋と呼び、南の新田筋との境をなしていたことから境橋と名付けられました。
 昭和49年に架けられたこの橋は交通量増加のためか、後になって上流と下流側に細い歩道が出来ました。これが又、別々の橋になっていまして、東側が昭和63年、西側が平成12年に出来ていて3本まとめて境橋。
 南側橋詰めには何ですか昔から祐天堂という祠があります。北詰めには、すぐ左に大きなスーパーマーケットがあり、もう少し進むと梅の小村井香取神社があります。
この橋の架かっている道は元中居堀のあった跡です。   (「ユートリヤ/すみだの川と橋/北十間川に架かる橋」より)]

祐天堂
[所在地 江東区亀戸3-39先
 六字名号供養塔 伝 祐天書 祐天堂由来
 昭和41年(1966)に設けられた当時の説明板等に拠りますと、その由来は、元禄年間に祐天上人が千葉方面に往来の途中、この付近の川の中や川岸に多くの水死者のあるのを見て、非常に心を痛め、その霊を懇に回向されました。
 その際に、これらの仏に戒名を与え祐天上人、自らが筆を取って石にその戒名を記された供養塔をここに残されました。
 後年、この供養塔を奉った祠が、この祐天堂であります。
 それ以来、この付近では水死者もなく、またこの付近の子供たちが水辺で遊んでいても溺れたためしが無かったと言い伝えられ、この付近に住む人々によって、水難除、安産、子供の守護の祠として崇め奉られ今日に至ります。(近年では、この祠に、交通安全祈願をなさる方も多いと聞きます。)
 また、毎年7月24日を由縁の日と定め、祐天上人の遺徳を仰ぎ精霊の供養を営む日と定められてまいりました。
 亀戸3丁目宮元町会 祐天堂保存会
 祐天堂地内には『木下川やくしみち道標』があります。  (「東京都江東区の歴史 祐天堂」より)]

北十間川(境橋)資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 北本所横川ヨリ亀戸迄 : 天保一一年八月ノ形」(絵図右上・柳島町上に描かれる橋が境橋です。)

国立国会図書館デジタルライブラリー – 〔江戸切絵図〕. 本所絵図」(絵図右上・境町上、北十間川に描かれてる橋が境橋です。)

国立国会図書館デジタルライブラリー – 〔江戸切絵図〕. 隅田川向島絵図」(絵図左上・北十間川に流入している中居掘の右上に描かれている橋が境橋です。)

祐天堂 – Google Map 画像リンク

カメラ位置は境橋南詰で、カメラ北方向に祐天堂があります。

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