山岡鉄舟生誕の地

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マーカーは山岡鉄舟生誕の地案内板です。

墨田区竪川中学校校門の南角にある、山岡鉄舟生誕の地案内板
[山岡鉄舟旧居 所在 墨田区亀沢4丁目11番 竪川中学校内
江戸末期幕臣(将軍直属の家来)で剣術家、維新後に無刀流の創始者ともなり、侍従も勤めた山岡鉄舟の生家小野家が竪川中学校の正門あたりにありました。鉄舟は天保7年(1836)、御蔵奉行だった旗本小野朝右衞門高福(たかとみ)の五男として生まれ哲太郎と名付けられました。安政4年(1857)頃、槍術で知られる旗本山岡静山の妹婿となり山岡高歩(たかゆき)、は鉄舟(本名の他につける名)を名乗りました。鉄舟の義兄ともなった槍の名手精一郎は旗本高橋家に入婿し、後に泥舟と号するようになります。勝海舟も含めてこの三人は「幕末の三舟」として知られています。慶応4年(1868)、江戸城総攻撃に先立ち鉄舟は西郷隆盛と接触し、勝海舟と協力して江戸城無血開城への道を開きました。明治維新後、静岡県や茨城県などで参事や県令(知事)となり、明治4年(1871)より明治天皇侍従として厚い信頼を得ましたが、同21年(1888)53歳で死去し、台東区谷中全生庵に葬られました。鉄舟は書家一楽斎としても有名ですが、区内木母寺の境内にある「三遊塚」の碑文は鉄舟(表)、泥舟(裏)の筆になります。 平成19年11月 墨田区教育委員会  (「堅川中学校歴史散歩:竪川中学校ホームページ 」より)]

山岡鉄舟資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本所絵図」(絵図中央下・松平筑後守下屋敷右上方向に小野勇太郎と記述の場所が山岡鉄舟生誕の地です。)

南本所竪川辺之地図 / 村上吾雄 誌」 – 「カット10/11・地図中央左下・松平筑後守下方向に小野勇太郎と記述の場所が山岡鉄舟生誕の地です。)

墨田区墨田区竪川中学校校門(墨田区亀沢4丁目11-15)の南角にある、山岡鉄舟生誕の地案内板。カメラ南西方向・植え込み角に山岡鉄舟生誕の地案内板があります。

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