川越藩松井松平家下屋敷跡

マーカーは川越藩松井松平家下屋敷跡です。

関連リンク – 川越藩松平(松井)家上屋敷跡(聖路加国際大学)川越藩松平(松井)家中(上)屋敷

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP495・コマ番号291/553から川越藩上屋敷の変遷について記載されています。この場所はP499・コマ番号293/553「一、下屋敷 本所中ノ郷竹町」です。

松平康載
[松平 康載(まつだいら やすとし)は、武蔵国川越藩2代(最後の)藩主。松井松平家13代。のち同家を離れ、旧上野国安中藩主・板倉家を継いで板倉 勝観(いたくら かつみ)を名乗り、子爵となった。
嘉永7年(1854年)10月11日、信濃国松本藩主・松平光庸の九男として誕生。慶応4年(1868年)8月29日、川越藩主・松平康英(松井松平家)の養子となる。明治2年(1869年)4月10日、康英の隠居により家督を相続し、版籍奉還を願い出た。同年6月10日、従五位下・周防守に叙任される。同年6月25日、版籍奉還に伴い、川越知藩事に任じられた。藩政改革に着手し、また、康英の代に収公された2万石の返還がなったが、財政難を克服することは出来なかった。
明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県で知藩事職を免官された。その後、松平姓から松井姓に改め松井康載を名乗る。明治12年(1879年)3月15日、隠居し、家督を養子・松井康義(先代・康英の次男)に譲った。  (wikipedia・松平康載より)]

東京都立図書館アーカイブ – 嘉永新鐫本所絵図(安政2[1855]改正/文久3[1863]改)」(絵図右上・吾妻橋下、細川若狭守下屋敷下に松平周防守(松平康英)下屋敷が描かれています。)

カメラ位置は墨田区役所入口交差点で、カメラ西北西方向、道路を含む両サイドが川越藩松井松平家下屋敷跡になると思います。