弘前藩津軽家上屋敷跡(緑町公園)

マーカーは緑町公園です。

弘前藩津軽家上屋敷跡説明板(緑町公園)
[津軽藩上屋敷は、北斎通り野見宿禰神社(のみのすくね)と緑町公園から京葉道路にわたり長方形に8000坪程を占めていました。津軽藩上屋敷の表門は京葉道路側で緑二丁目のジョナサンのあたりです。その表門の風景を描いた浮世絵こちら。墨田区にあった大名の上屋敷はこの津軽藩と大川端にあった平戸新田藩、そして三ツ目之橋を南に渡った所にあった陸奥黒石藩の三つです。後記の二つは、一万石の小藩ですが、最終的に十万石になった津軽藩がなぜ神田から湿地帯の本所に移されたのか、それが七不思議なのです。  (「すみだあれこれ-すみだの大名屋敷-陸奥弘前藩上屋敷」より)]

[万治2年(1659)から始まった本所の開発は、2年ほどの突貫工事だったこともあってか、本所はすぐに洪水に見舞われるようになります。このため、江戸幕府は一度配した屋敷を全て撤収させざるをえず、再び地所を収公することになります。天和2年(1682)以降のいわゆる「江東撤退」がこれです。幕府は元来公有地としての性格をもつ武家屋敷、町家、河岸、道の全てを収公したのです。しかし、この挫折は一時的なものでした。元禄元年(1688)には再び武家が屋敷を拝領し始めます。弘前藩津軽家が屋敷を拝領したのもまさにこの頃。同家の拝領地は大きな水溜りの残る劣悪な状態でしたが、整地を経て3年後には藩主公邸の完成をみています。  (「土にねむる江戸―墨田区の遺跡―」より)]

津軽の太鼓
[津軽の太鼓(つがるのたいこ)は、本所東京都墨田区)を舞台とした本所七不思議と呼ばれる奇談・怪談の1つ。全エピソードの中でも最も怪異な起伏が少なく、七不思議から省かれることもある。
江戸時代の頃の本所に所在した津軽越中守の屋敷には火の見櫓があった。しかし通常火の見櫓で火災を知らせるときは板木を鳴らすのだが、なぜかこの屋敷の櫓には板木の代わりに太鼓がぶら下がっており、火事の際には太鼓を鳴らした。なぜこの屋敷の櫓だけが太鼓だったのかは誰も知らない。
他には越中守屋敷の火の見櫓の板木を鳴らすと太鼓の音がするという物語も存在する。
「東京都墨田区の緑町公園。津軽越中守の屋敷跡とされる場所で、現在では伝承を記した看板が立てられている。」・wikipedia-photo  (wikipedia・津軽の太鼓より)]

弘前藩津軽家上屋敷資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 北本所大川ヨリ横川迄南割下水辺 : 天保一一年八月ノ形」(絵図中央に津軽大隅守と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本所絵図」[絵図左下・津軽越中守上屋敷が弘前藩津軽家上屋敷です。]

南本所竪川辺之地図 / 村上吾雄 誌 」・「請求記号:文庫01_01855 11カット – 9

弘前藩津軽家上屋敷跡の範囲は、「すみだあれこれ/すみだの大名屋敷/陸奥弘前藩上屋敷」が参考になります。

カメラ南南西方向が緑町公園で弘前藩津軽家上屋敷跡の一部です。 

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