津軽稲荷神社(弘前藩津軽家下屋敷跡)

マーカーは津軽稲荷神社です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP906・コマ番号497/553から弘前藩屋敷の変遷について記載されています。P908・コマ番号498/553「中屋敷 本所横川端 本所区太平町一丁目」がこの地になります。

津軽稲荷神社
[津軽稲荷神社は、津軽藩下屋敷屋敷神として祀られていたといいます。明治43年に払い下げられ、錦糸町1丁目町会の守護神として崇敬を集めています。拝殿昭和35年、弁財天は昭和44年の再建といいます。
津軽稲荷神社由来
津軽稲荷神社は青森県弘前城津軽四郎為信10万石の下屋敷にて10.000坪は明治43年の大水害と共に拂下られ太平町1丁目町会の所有となる。昭和7年町名変更の際錦糸1丁目町会の守護神となり祭神は伏見稲荷神社の分神にて町民の信仰厚く大正12年関東大震災及昭和20年戦災の為焼失昭和35年拝殿及社務所会館再建落成致しました。又弁財天江ノ島弁財天の分身で鳥居は明治100年を記念して昭和44年再建されました。町民一同之信仰の的とされて居ります。尚津軽華子常陸宮様との御結婚之際当町より津軽家に御祝品贈り御礼として礼状及記念品を頂戴致しましたので神社内に保存してあります。昭和58年明友会(境内掲示より)  (「猫のあしあと」より)]

東京都立図書館アーカイブ – 嘉永新鐫本所絵図(安政2[1855]改正/文久3[1863]改)」(絵図中央左下・割下水大横川交点右下に津軽越中守下屋敷が描かれています。)

津軽稲荷神社 境内 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が津軽稲荷神社参道です。

津軽稲荷神社拝殿前のカメラです。

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