マーカーは膳所藩本多家下屋敷跡です。
関連リンク – 膳所藩本多家上屋敷跡
「国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP948・コマ番号518/553から膳所藩屋敷の変遷について記載されています。P949・コマ番号518/553「下屋敷 本所柳島 本所区柳島町」がこの地になります。
[太平四丁目遺跡
〔所在地〕太平四丁目1番地
〔概要〕本遺跡は、元禄16年(1703)から明治初年頃まで存在した、近江膳所藩本田家の下屋敷の一部と推測されます。
明治以降は、精工舎(現、セイコーホールディングス株式会社)の本所柳島工場となりますが、平成9年(1997)に工場が閉鎖され、跡地が再開発されることが決定します。これをうけて、平成14年(2002)3月に埋蔵文化財の確認調査が行われた結果、江戸時代の遺構の存在が確認され、同年6月から発掘調査が開始されました。
〔主な遺構・遺物〕本遺跡からは、江戸時代の地層から、面積およそ400㎡の池跡が確認されました。池跡の周辺からは、建物跡が確認されなかったため、本田家下屋敷の庭園部分であったことが推測されます。
この池は、明治30年代頃に精工舎の工場建設に伴って埋め立てられたことが遺物から推測できました。池の埋め立て後に造成された土地からは、建物の基礎や下水跡、ゴミ穴などが発見されました。
本遺跡からは、陶磁器類3,150点、瓦835点、木製品409点、金属製品645点、ガラス製品310点、その他1,761点、総数7,110点の多種多様な遺物が出土しました。
特徴的な遺物として、近代のゴミ穴から出土した、ガラスが溶着した大型陶器の陶片と、熱を受けた筒状ガラス製品があげられます。これらの遺物は、ガラスの成形などを行う過程で生じた廃棄物と考えられます。創業間もない精工舎に由来する可能性がある遺物であり、墨田区の近代産業に関わる貴重な資料であるということが推測できます。 (「本所に埋葬された人々 – 墨田区」より)]
「東京都立図書館アーカイブ – 嘉永新鐫本所絵図 (安政2[1855]改正/文久3[1863]改)」(絵図中央下方向に本多隠岐守(本多康融)下屋敷が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 北本所横川ヨリ亀戸迄 : 天保一一(1840)年八月ノ形」(絵図中央・本多兵部大輔(本多康禎)下屋敷が描かれています。)
「東京市拾五区区分全図 第十四 本所区全図」(地図中央上方向・柳島町23番-26番地が膳所藩本多家下屋敷跡になると思われます。24番地に精工舎と記述されています。)
カメラ位置は本所太平四丁目交差点で、カメラ南東方向が膳所藩本多家下屋敷跡になると思います。