情報ウインドウからのリンク先には、「東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」から検索したページにリンクを貼り付けています。江戸の年中行事を紹介する図会のなかに、場所の特定が難しい場所もあります、このような場所についてはネット検索により納得できたサイトにお世話になったり、独善的な想像で場所を設定していますのでご容赦ください。
紹介個所の詳細は情報ウインドウのリンクから詳細ページをご覧ください。
下地図右のリストをクリックすると、上の地図にその場所がズーム表示、下地図に情報ウインドウが表示され情報ウインドウ内のリンクをクリックすると詳細ページが別画面で表示されますます。また、「初期設定」ボタンをクリックすると初期画面に戻ります。
『東都歳事記』は5冊からなり、『江戸名所図会』と同じく、斎藤月岑が長谷川雪旦画、長谷川雪堤補画による挿図、版元は日本橋 須原屋茂兵衛で天保9年(1838年)に刊行し、江戸の年中行事(江戸年中行事 – Waseda University Library – 早稲田大学)を時系列順に紹介したものです。
斎藤 月岑[さいとう げっしん 文化元年(1804年) – 明治11年(1878年)3月6日]は江戸神田司町二丁目・神田雉子町の草創名主の家に生まれた考証家で、『江戸名所図会』『武江年表』など、江戸の町についての基本資料を著述したことで知られています。
長谷川 雪旦[はせがわ せったん、安永7年(1778年)誕生日不明 – 天保14年1月28日(1848年2月26日)]は江戸時代後期の絵師で、江戸で唐津藩士の子として生まれました。『江戸名所図会』の挿絵画家、或いは唐津藩・尾張藩の御用絵師として知られています。
長谷川 雪堤(はせがわ せってい、文化10年(1813年)1月 – 明治15年(1882年)3月15日]は江戸時代末期(幕末)から明治時代の絵師で、長谷川雪旦の長男です。
長谷川雪旦・雪堤親子の住居は下谷和泉橋通三枚橋(現在の台東区)にあったとされています。
版元の須原屋茂兵衛(すはらやもへえ)は江戸時代の版元・家号は千鐘房(堂)で、万治~元禄期より明治まで9代続いています。上方資本が幅を利かせる江戸時代初期より江戸地本問屋として早くから台頭し、江戸出版業界最大手の地位を築き上げたことから、「江戸書林の魁」と呼ばれました。須原屋茂兵衛は日本橋通一丁目(現日本橋交差点付近)西側にあったようです。