加賀藩前田家中屋敷跡

マーカーは加賀藩前田家中屋敷跡です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP505・コマ番号296/553から金澤藩(加賀藩)屋敷の変遷について記載されています。P507・コマ番号297/553「中屋敷 駒込」がこの地になります。

[加賀藩の江戸藩邸は、慶長 10年 (1605)、3代藩主前田利常家康より和田倉門外の辰口に屋敷を賜ったのが始まり 。これより前、慶長 5年 (1600) 以来、芳春院が人質として江戸に在ったが、その時代の邸宅の所在ははっきりしない 元和 2~3 年(1 617~8) 頃には、本郷に屋敷地を拝領してこれを下屋敷とし、辰口邸を上屋敷と定めている。その後、明暦 3年 (1657)・天和 2年 (1682) の大火による焼失、及び拝領・上地(拝領した土地を幕府へ返上すること)を経て、天和 3年 (1863) には、本郷邸が上屋敷、駒込邸が中屋敷、平尾邸が下屋敷と定められた。 このほか、江戸で売買・消費する米を収納した蔵屋敷が深川黒江町にあった。この蔵屋敷は、幕府から拝領した土地ではなく、町人などの地主から藩が買い上げたもので、これを抱屋敷という。なお詳しい変遷は、別表 「加賀藩江戸藩邸の沿革」に記載した。
駒込にある中屋敷の全体図では。色紙で示された御小屋・仮小屋・長屋・馬場などが、整然と配置されている様子が窺われる。御殿の部分は空白になっている。中屋敷の御殿の間取図では、藩主やその家族が常時住む公邸としての上屋敷に対し、中屋敷は隠居した藩主や嗣子などが居住し、また上屋敷が火事などの災害に遭った場合には、避難場所及び臨時の公邸としての機能を果たした。  (「加賀藩の江戸藩邸」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 巣鴨絵図(嘉永7年・1854)」[絵図四つ切右上に加州殿(前田斉泰)中屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [35]貮拾壹亨(安政3年・1860)」(コマ番号2/7・絵図右上に松平加賀守(前田斉泰)無年貢抱屋敷と描かれています。)

カメラ位置は六義園西角・文京学院前交差点で、カメラ南方向一帯が加賀藩前田家中屋敷跡になると思います。