マーカーは城官寺です。
城官寺
[真言宗豊山派寺院の平塚山城官寺は、江戸時代には平塚神社の別当寺でした。三代将軍徳川家光の病を治して信頼を得た山川城官貞久がこの寺に入り、平塚神社ともども再興したとされます。徳川家の侍医・多紀桂山一族の墓があり、東京都指定史跡となっています。豊島八十八ヶ所霊場47番札所、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場6番札所です。 (「猫のあしあと – 城官寺」より)]
検校地蔵
[城官寺本堂右の墓地に山川城管一族の墓がある。山川城管自身の墓はなく、子孫の墓が並んでいる。「当山開基 山川検校城官一族墓」という石碑の側面・背面には城官寺の寺伝が記されている。中央の最も大きな地蔵菩薩像は城管が寄進したもので、寛永15年(1638)の年号が刻まれている。「施主 山川検校城官 玉法院殿心誉高岸春郭上座 寛永十五戊寅六月二十四日 欽言」とある。 (「山川城管 2 – 当道」より)]
城官寺資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 巣鴨絵図(嘉永七年・1854年)」(絵図上端中央に戸川播磨守下屋敷の左方向に城官寺が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [40]貮拾壹貞(安政三年・1856年)」(コマ番号3/13・地図右下に城官寺が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊嶋郡上中里村絵図面(出版年月日[江戸末期])」(コマ番号3/4・御殿山の上に平塚明神が描かれ、その右上に城官寺が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「平塚明神社鎧塚別当城官寺」(15-16)、「平塚明神社解説・右ページ9行目から」(15-15)
平塚明神社鎧塚別当城官寺(拡大図)
「真言宗豊山派城官寺 – Google Map 画像リンク」
カメラ東方向が城官寺山門です。