子易神社(胸突地蔵)

マーカーは子易神社です。

子易神社
[子易神社の創建年代は不詳ですが、延宝2(1674)年の水帳に当社が記載されていることから、江戸時代初期以前の創建と考えられます。子安宮または子安明神とも称し、旧金井久保村の鎮守でした。
板橋区教育委員会掲示による子易神社の由緒
御祭神木花開耶姫命
創建年代は不詳だが、境内地が延宝2(1674)年の水帳に記載されており、創建はこれ以前に遡ると思われる。富士浅間神社の御分霊を勧請したと伝えられ、旧金井久保村の鎮守であった。江戸時代は、社号を子安宮または子安明神とも称し、安産・子育ての神として信仰を集めた。近くの福生寺が別当であったが、明治初年神仏分離により子易神社と改称した。
境内に祀られている子安観音は、明和2(1765)年に造立されたもので、当社の別当寺であった福生寺に安置されていたが、同寺が廃寺になった際この地に移されたという。
神社入口にある胸突地蔵は、別名身代わり地蔵とも呼ばれ、元禄8(1695)年に造立されたもので、もとは神社の裏手(現金井窪保育園)にあった。台座には「右上尾」「左河越」と刻まれており、道標にもなっていた。(板橋区教育委員会掲示より)  (「子易神社|板橋区板橋の神社、金井久保村鎮守、子安宮、子安明神」より)]

「子易神社(板橋二丁目鎮座) | 神社と御朱印」、「子易神社~境内社・胸突地蔵などなど~ 板橋区|情熱的に暮したい …

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [30]貮拾貞(嘉永七年・1854年)」(コマ番号3/13・絵図中央左下に子安社地と描かれ、その上方向に別当寺であった福生寺が描かれています。コマ番号4/13には中宿にあった浄蓮寺が描かれています。)

子易神社 – Google Map 画像リンク」、「胸突地蔵尊 – Google Map 画像リンク

カメラ西南西方向が子易神社参道で、参道入口左に胸突地蔵があります。

胸突地蔵前のカメラです。

子易神社拝殿前のカメラです。