小治兵衛窪庚申尊

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小治兵衛窪庚申尊
[庚 申 塔
 庚申(かのえさる)の日に、近隣の人々が集まり豊作や健康を祈る行事を庚申待という。この供養に立てたのが庚申塔である。
 この塔の正面には六手を持った青面金剛陽刻してある。手に弓矢、宝剣を持ち、頭髪は上指て三猿の上に座っている。座像彫刻は比較的珍しい塔である。右面には武州豊嶋郡狭田領上赤塚村とあり、左面には天明3癸卯(みずのとう)年(注:1783)2月吉日と刻んである。庚申様は道祖神として交通安全や町内安全の守り神ともなっている。
 このあたりは「小治兵衛久保」という地名で呼ばれていた。また、「橋を作ってくれた盗人小治兵衛」の民話が残っている。この民話と共に古くから残る庚申塔は一度は松月院永代供養を依頼した時期もあったが、成増南町会周辺の数少ない史跡として、再びこの地に安置し、町民の心の支えとして、末永くお祭りすることにした。
              昭和63年1月吉日
                           成増南町会氷川神社管理運営委員会  (「川越街道餐歩・・・第1回」より)]

[天明3年(1783)浅間山の噴火と飢饉の犠牲者を供養するために造立された。
 小治兵衛窪の地名の起こりについては、次のような伝説がある。
 昔ここを流れていた百々向(すずむき)川に一本の丸木橋が架けられていた。とてもさびしい場所で、毎晩のように強盗が出没し、通行人から恐れられていた。
 ある朝立派な橋が架け替えられていて、橋のてすりに「たくさんの悪いことをしたので、罪ほろぼしにこの橋を造る。小治兵衛」と書かれた木札が下げられていた。その後は便利になったばかりか強盗も出なくなったというものである。  (「小治兵衛窪庚申尊   成増2-6」より)]

[川越街道を渡る手前、成増2丁目の交番裏に祠に守られた庚申塔があります。この庚申塔は天明3年(1783年)の浅間山大噴火の犠牲者供養とため立てられたもの。祠の傍らに「小治兵衛窪庚申尊」という標柱がありますが、この小治兵衛の昔ばなしをご紹介。
昔、ここを流れていた百々向川に1本の丸太橋が架けられていましたが、毎晩のように強盗が出没し、1本橋ゆえ逃げ場がないため、村人からはたいそう恐れられていたそうな。ある朝、立派な橋に架け替えられていて、橋の手すりに「たくさんの悪いことをしたので、罪滅ぼしにこの橋を造る。小治兵衛」と書かれた木札が下げられていたそうな・・
小治兵衛窪付近にはかつて、共同の洗い場があって付近の農家が野菜を洗っていたといいます。  (「スリバチブログ – 小治兵衛窪という名の二級スリバチ」より)]

小治兵衛窪庚申尊 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が小治兵衛窪庚申尊です。

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