巣鴨御薬園跡

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マーカーは巣鴨御薬園跡の説明板です。

巣鴨御薬園跡
[このあたりは、もともと伊勢国津藩主藤堂和泉守家の抱屋敷の一部であったが、明和6年(1769)に伊奈半左衛門預りの幕府御用林となった後、寛政10年(1798)頃に幕府に仕えた渋江長伯が管理する巣鴨薬園となった場所である。薬園というのは、薬用植物を栽培し、疾病治療の用に供する施設のことであり、日本にはすでに八世紀前半期には存在していた。その後、江戸時代になると、幕府主導のもと薬園制度は急速に発展し整備され、幕府直轄のものでは小石川薬園・駒場薬園などが、藩営のものでは尾張・会津・熊本・長州・薩摩藩のものなどが知られている。巣鴨薬園を管理していた渋江長伯(1760~1830)は、幕府に仕える医師かつ本草学者であり、寛政11年(1799)には幕命により蝦夷地での薬草調査に出かけている。約一万二千坪(約四万平方メートル)あったといわれる巣鴨薬園は、別名綿羊屋敷とも呼ばれていた。これは渋江長伯が文化14年(1817)に日本で初めて綿羊を飼育し、羅紗織の試作を行ったことからきたものとされている。明治維新後、巣鴨御薬園は廃止されてしばらくの間私有地となっていたが、昭和12(1937)年3月、東京市中央卸市場豊島分場が開設され、その後東京都中央卸売市場豊島市場となり現在にいたっている。 平成14年3月 東京都豊島区教育委員会]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 巣鴨絵図」(絵図中央左方向に御薬園が描かれています。)

カメラ北方向に巣鴨御薬園跡の説明板があります。

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