巣鴨庚申塚

マーカーは巣鴨庚申塚です。

巣鴨庚申塚
[庚申信仰の起源は、中国から伝わった道教の三尸説(さんしせつ)に求めることができる。 それによれば、人の身体にいる三尸という虫が、60日に1度訪れる庚申の日の夜に人の罪状を天帝(てんてい)に告げに行くため、人々はこの晩は寝ずに過ごし、寿命が縮められるのを防ぐというものである。 こうしたことから、室町時代の中頃から庚申待(まち)が行われるようになり、さらに僧侶や修験者の指導によって講集団が組織され、江戸時代になると各地に庚申講がつくられ、その供養のため庚申塔が造立されるようになった。さて、江戸時代の文化年間(1804~17)に出された地誌「遊歴雑記(ゆうれきざっき)」によると、祠内に納められている庚申塔は明暦3年(1657)1月の江戸大火後に造られ、その際文亀2年(1502)造立の高さ八尺の碑は、その下に埋められたとされている。その庚申塚は、旧中山道(現地蔵通り)沿いに展開した巣鴨町の北東端、すなわち旧中山道と折戸通りの交差地に位置し、天保年間(1830~43)に刊行された「江戸名所図会」では、中山道板橋宿に入る前の立場(休憩所)として描かれている。 現在も都電の庚申塚停留所を下車して参拝する人や、とげぬき地蔵(高岩寺)の縁日帰りに立ち寄る人が跡を絶たない。平成八年三月 東京都豊島区教育委員会  (「庚申塚 – 私立PDD図書館」より)]

猿田彦大神巣鴨庚申堂 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向が庚申塚です。

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・巣鴨庚申塚

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「巣鴨庚申塚」(13-15)

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