延命寺

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延命寺
[延命寺とこぶ欅
真言宗見次山松寿院と号し,創建は大永年間と伝えられる。大永4(1524)年、北条氏綱江戸城を攻め、城を逃れて川越へ向かった上杉朝興はその途上、志村城下で追討にあい,その際志村城もこの巻き添えとなった。城主篠田五郎の家臣・見次権兵衛は庭先でわが子が討たれる姿をみて,戦国の世の無常を感じ、居宅を仏寺として自らが開基となった。当寺は、江戸時代徳川将軍家鷹狩りの小休所となり、御座所・御成門も備えられていた。境内には樹齢約800年といわれるの大樹があり、樹幹に巨大な「こぶ」のあることから俗に「こぶ欅」と呼ばれた。昭和6年に天然記念物に指定されたが,近年枯死したため指定は解除され,今は樹幹のみが保存されている。また、区内最古の建長板碑と、俗に切支丹灯籠といわれるマリア像を形どった地蔵像を刻んだ燈籠一基がある。平成5年2月 板橋区教育委員会  (「中山道餐歩記-1へ」より)]

[志村城をめぐる戦いで自分の子供が討ち死にするのを目にした見次権兵衛が、世の無情を悟り、自らの屋敷を寺としたと伝わる真言宗寺院です。境内には、区内最古の建長4年(1252)の板碑やいぼ取りの通称「蛸薬師」として信仰をあつめた正保4年(1647)の庚申塔があります。
志村延命寺板碑群
板橋区登録有形文化財(考古資料) 昭和61年2月14日登録
 文化財となっている板碑は境内に14基あります。そのうち年号が判明するものは9点で、その作成年代は、建長4年(1252)・康永2年(1343)・貞和3年(1347)が2点・延文4年(1359)・康暦3年(1381)・永徳3年(1383)・文明6年(1474)・文明19年です。
 このうち、建長4年の板碑は区内最古のもので、心字座(しんじざ)に胎蔵界大日如来(たいぞうかいだいにちにょらい)の種子(しゅじ)である「ア」が刻まれています。心字座を刻む板碑はこのほかに、埼玉県東松山市内に3基確認されているだけで、希少な板碑といえます。なお、この板碑は明治23年(1890)に志村字天神前から発掘されたもので、同42年に城山城址より発掘された文明6年の板碑や、同43年に字天神前より発掘された文明19年の板碑とともに、昭和6年の段階で延命寺に集められ、コンクリートで固定されて碑が建てられました。
志村延命寺板碑群・画像リンク  (「延命寺のご案内 | 板橋区」より)]

志村延命寺板碑群 | 板橋区

延命寺 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が延命寺山門です。

カメラ西方向が延命寺本堂です。

カメラ西方向が延命寺本堂です。