マーカーは旧丹羽家門です。
旧丹羽家蔵及び門
[旧丹羽家の蔵は、江戸時代から明治後期まで染井を代表する植木職人として活躍した丹羽家の八代目茂右衛門が、昭和11年、九代目の結婚の際にもともと木造土蔵造りだった蔵を鉄筋コンクリート造りに建て直したものです。築後70年以上が経過していますが保存状態は良く、昭和初期の建築当時の姿を残していることから、平成19年12月に国の登録有形文化財建造物として登録されました。門は、腕木と呼ばれる梁で屋根を支える腕木門と呼ばれる形式です。正確な建築年代は不明ですが、修理の記録等から江戸時代後期に建てられたものと推定されています。現在も植木の里・駒込の歴史を物語るシンボル的存在として地域の方々に親しまれています。平成19年8月に豊島区指定有形文化財となりました。 (「旧丹羽家住宅蔵内で展示開催|豊島区公式ホームページ」より)]
[旧丹羽家腕木門
豊島区駒込(染井)は、江戸時代から植木の一大生産地として知られ、植木職人が多く集住した地域です。丹羽家は天明年間(1780年代)から明治末期まで染井を代表する植木屋として活躍した、当地域の地主としても知られている旧家です。丹羽家の旧屋敷地は、JR駒込駅から約400メートル北西の染井通りのほぼ中央に位置し、平成18(2006)年から豊島区の広場として整備が進められ、北角の蔵と西隅の門が区の所有となって現地保存することになりました。旧丹羽家の門は腕木門という形式で、簡素な構造でありますが、格式のある門です。建築年代は不明ですが、当初材である親柱には和釘が使用されていることや、親柱、冠木、扉などの風蝕の様子、また、都内の類例との比較などから、江戸時代末期の建築と推定されます。言い伝えによれば、染井通りをはさんで向かい側にあった津藩藤堂家下屋敷の裏門を移築したともいわれます。屋根や部材には、かなり傷んでいる部分があるため、豊島区の指定文化財になったことに伴って、平成19年10月より保存修復工事が行なわれ、平成20年3月に竣工しました。 (「区指定文化財の紹介|豊島区公式ホームページ」より)]
[駒込の染井地域は、江戸時代から植木の一大産地として知られ、植木職人が多く集住した地域だ。旧丹羽家は、天明年間(1780年代)から明治後期まで染井を代表する植木職人として活躍し、代々茂右衛門(もえもん)を襲名した。造り菊、石菖(せきしょう)、蘭、ツツジなどを得意とし、津藩や尾張藩などの大名屋敷に出入りするなど厚い信用を得ていた。8代目茂右衛門(明治29年生まれ)の代で植木屋をやめたが、地域の地主として知られた旧家である。 (「豊島区・旧丹羽家蔵が国の登録有形文化建造物になりました」より)]
染井看菊資料リンク
「東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「染井看菊」(4-35)
染井看菊(拡大図)
絵本江戸土産 – 染井植木屋(拡大図)
「門と蔵のある広場 – Google Map 画像リンク」、「旧丹羽家住宅蔵 – Google Map 画像リンク」
カメラ南東方向が区の有形文化財指定に指定された腕木門で、カメラ東北東方向に国の登録有形文化財建造物に登録された蔵があります。