マーカーは昌林寺です。
昌林寺
[昌林寺(しょうりんじ)は東京都北区西ケ原にある曹洞宗の寺院である。
補陀山と号し、創建年代は奈良時代と思われるが、一時廃寺同然になった。室町時代には、応永8年(1401年)に鎌倉公方足利持氏が再建し、大永5年(1525年)に現在の寺号補陀山に改めた。天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐後の徳川家康の関東移封と江戸入国によって、多くの徳川譜代の直参旗本・御家人が移って来た時に、武蔵国豊嶋郡も江戸幕府の天領となり、武蔵国荏原郡、豊嶋郡などを知行地に持った用水奉行小泉次大夫吉次など旗本代官が支配した。
江戸時代には、徳川将軍家のお膝元として、江戸幕府の寺社奉行による監督の下、江戸六阿弥陀巡礼の木残、北豊嶋三十三ヶ所霊場19番札所、上野王子駒込三十三ヶ所観音霊場5番札所であった。明治維新後、新政府による廃仏稀釈によって寺は荒廃し、多くの貴重な宝物、過去帳なども消失したが、太平洋戦争の戦火も潜り抜けて、戦後は復興している。境内には西ヶ原貝塚がある。
補陀山昌林寺・wikipedia-photo (wikipedia・昌林寺_(東京都北区)より)]
「昌林寺|江戸六阿弥陀木残、北区西ケ原にある曹洞宗寺院 猫の足あと」
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 巣鴨絵図(嘉永七年・1854年)」(絵図上端中央の戸川播磨守下屋敷、無量寺の左下方向に昌林寺が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [40]貮拾壹貞(安政三年・1856年)」(コマ番号5・絵図左上に昌林寺が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 武州豊島郡西ヶ原村絵図面 : 安政二(1855)年一一月」(絵図中央下に昌林寺が描かれています。)
昌林寺山門前のカメラです。