マーカーは板橋天祖神社です。
板橋天祖神社
[天祖神社の創建年代は明らかになっていない。一説では、後深草天皇の時代(1243-1304年)に、伊勢神宮に祭られている天照大御神を勧請したと伝えられている。 (wikipedia・南常盤台より)]
[板橋天祖神社は、室町時代に豊島氏が当地付近を開拓した際には鎮座したと推定されています。江戸時代には上板橋村の鎮守、明治時代には村社に列格されていました。
●新編武蔵風土記稿による氷川神社の由緒
(上板橋村)
神明社
村の鎮守にて長命寺持下三社持同じ(新編武蔵風土記稿より)
●板橋区教育委員会掲示による板橋天祖神社の由緒
御祭神 天照大御神。
当社の創建は不詳であるが、当社は近一帯が豊島氏によって開拓されたことを考えると室町時代には神社の形態をなしていたと思われる。江戸時代には神明社と称し、旧上板橋村の鎮守となっている。境内にある狛犬や絵馬などの奉納者に川越街道上板橋宿の住人の名が見え、宿場と深い結びつきがあった。寛政9年(1793)、蜀山人が当社を訪れた時の記録が残っているが、それによると、「神明宮ありて古老松杉枝を交えて大なる柊もあり宮居のさまもわら葺きにて黒木の鳥居も神さびたり・・・」と書き記している。明治5年村社天祖神社と改称し今日にいたっている。境内にある弘化3年の狛犬に、円形のきずがあるが、これは昭和20年6月10日の空襲による爆弾の半片の跡。6月10日の空襲を伝える数少ない遺構の一つである。(板橋区教育委員会掲示より)』 (「猫のあしあと – 板橋天祖神社」より)]
カメラ西方向がときわ台天祖神社表参道です。
カメラ北方向が板橋天祖神社南参道です。
ときわ台天祖神社拝殿前のカメラです。