空襲犠牲者供養の地蔵

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マーカーは空襲犠牲者供養の地蔵です。

[空襲犠牲者供養の地蔵
 第二次世界大戦中の昭和二十年(一九四五)四月十三日夜、板橋から志村の地域にかけてアメリカ軍による空襲がありました。この空襲は、区内最大の羅災者約四万五千人を出し、板橋駅、区役所、養育院など板橋区の中枢を焼け野原にしました。
 この空襲(東京大空襲)で、当地の防空壕に避難していた、一人の乳児を含む九人が、爆弾の直撃弾を受け犠牲になったといわれています。
 戦後、当地を購入し、公衆浴場を開業した小川忠雄氏が、先の空襲による被害を知り、供養のために建てたのが、このお地蔵さまです。昭和二十五年(一九五〇)に現在地に建てられました。八面の胴部分に一体ずつの地蔵が刻まれ、そのうちの一体が子供を抱いています。
 昭和四十九年(一九七四)には、覆屋(おおいや)も作られ、現在ではまちの方々によって大切におまもりされています。
 このお地蔵さまは、板橋区における空襲の事実を伝え、後世に戦争の悲惨さと平和の尊さを伝える史跡として、平成七年度、板橋区の記念物に登録されました。
平成九年二月 板橋区教育委員会]

61 東京大空襲関連の石仏、石碑(東京都板橋、文京、台東、墨田区 …

空襲犠牲者供養の地蔵 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が空襲犠牲者供養の地蔵です。

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