装束稲荷神社

マーカーは装束稲荷神社です。

装束稲荷神社
[装束稲荷神社は、関東八ヶ国の稲荷のお使いが、王子稲荷神社へお参りする前、当地にあったの下で装束を着替えた場所と言い伝えられています。安藤広重の錦絵の題材ともなった、この狐の行列は、現在大晦日の行事ともなっているほか、名所江戸百景にも選定されています。
『王子の狐火と装束榎
かつてこの辺りは一面の田畑で、その中に榎の木がそびえていました。
毎年大晦日の夜、関東各地から集まってきた狐たちがこの榎の下で衣装を改めて王子稲荷神社に参詣したといういいつたえがあることから、木は装束榎と呼ばれていました。狐たちがともす狐火によって、地元の人々は翌年の田畑の豊凶を占ったそうです。
江戸の人々は、商売繁昌の神様として稲荷を厚く信仰しており、王子稲荷神社への参詣も盛んになっていました。やがて、王子稲荷神社の名とともに王子の狐火と装束榎のいいつたえも広く知られるようになり、左の広重が描いた絵のように錦絵の題材にもなりました。
昭和4年(1929)、装束榎は道路拡張に際して切り倒され、装束榎の碑が現在地に移されました。後にこの榎を記念して装束稲荷神社が設けられました。平成5年(1993)からは、王子の狐火の話を再現しようと、地元の人々によって、王子「狐の行列」が始められました。毎年大晦日から元日にかけての深夜に、狐のお面をかぶった裃姿の人々が、装束稲荷から王子稲荷神社までの道のりをお囃子と一緒に練り歩く光景(大晦日狐の行列・wikipedia-photo)が繰り広げられます。(北区教育委員会掲示より)』  (「猫のあしあと – 装束稲荷神社|北区王子の神、王子稲荷へお参りする狐が装束を着替える榎」より)]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「装束畠衣裳榎」(15-32)
装束畠衣裳榎(拡大図)

名所江戸百景[歌川(安藤)広重](王子装束ゑの木 大晦日の狐火・wikipedia-photo)

装束稲荷 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向が装束稲荷神社参道です。

装束稲荷神社拝殿前のカメラです。

装束稲荷神社初午のカメラです。

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