西福寺

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西福寺
[西福寺の創建年代は不詳ながら、新編武蔵風土記稿が編纂された天保元年(1830)の西福寺住職が十三世であったといい、江戸時代初期には既に創建されていたと考えられているといいます。
東京都豊島区教育委員会掲示による西福寺の縁起
新義真言宗に属す。藤林山と号し、西ヶ原無量寺の末寺である。創建の年代は明らかではないが、駒込に江戸時代から存在した寺である。
本尊阿弥陀如来であり、これは徳一大師の作といわれている。
この寺は、江戸時代、大名藤堂家(津藩)の下屋敷に近く、家中の祈願寺となり、その規模が非常に広大であったといわれているが、明治維新後に縮小された。
境内には、六道すなはち地獄道・飢餓道・畜生道・修羅道・人道・天道について教えを説くための六体の地蔵が刻まれた六地蔵がある。これは明暦元年(1655)に造られたものであり、豊島区内では最古のものである。
墓地には徳川将軍家の御用植木師として名高かった伊藤伊兵衛政武(四代目・宝暦七年=1757没)の墓があり、これは東京都の史跡に指定されている。政武は樹仙と号し、「増補地錦抄」などを著している。また、ダダイストで知られた辻潤の墓もある。(東京都豊島区教育委員会掲示より)
●新編武蔵風土記稿による西福寺の縁起
(上駒込村)西福寺
藤林山歓喜院と号す、新義真言宗西ヶ原村無量寺末、本尊弥陀の三尊を安す、開基の年代をしらす現在まて十三世に及ふと云。
稲荷社(註:染井稲荷神社
身體石像なり、秘して開扉せす、前立稲負老人咜枳尼天像共に木像なり、又伊弉諾尊伊弉册尊共に石像聖天一体皆相殿とす、染井一区の鎮守神なり祭礼九月十一日。
末社。
八幡疱瘡神大黒恵比寿稲荷五座合祀。稲荷三。
地蔵堂。閻魔の像もあり。(東京都豊島区教育委員会)  (「西福寺|豊島区駒込にある真言宗豊山派寺院、豊島八十八ヶ所 …猫の足あと」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 巣鴨絵図(嘉永七年・1854年)」(絵図中央上・藤堂和泉守下屋敷上方向に藤林山西福寺染井イナリと描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 駒込村一円之絵図 : 安政三・1856年」(コマ番号2/4・絵図中央右に西福寺が描かれています。)

染井 西福寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向が西福寺山門です。

西福寺本堂前のカメラです。