マーカーは観明寺です。
観明寺(庚申塔)
[室町時代の創建と伝わる真言宗寺院です。本尊の聖観音立像は12世紀頃の作と考えられています。境内には、寛文元年(1661)の庚申塔や、加賀藩下屋敷から遷されたといわれる稲荷社があります。明治6年(1873)、当時の住職が宿場に旧来の活気を取り戻そうと、成田山の不動尊を勧請して縁日を開きました。商店街の名前は当寺の不動尊に由来します。
観明寺 :建武5年(1338年)の銘がある板碑が残っていることから、室町時代初期の創建とも伝えられる古刹。真言宗豊山派。門前右手の堂に納められている庚申塔は万治4年(寛文元年、1661年)に建立された板橋区最古のものであり、青面金剛像が彫られた庚申塔としては都内最古。 (板橋区ホームページ)]
[観明寺と寛文の庚申塔
当寺は、真言宗豊山派の寺で、如意山観明寺と称します。御本尊は正観世音菩薩です。創建年代は暦応元年(1338)と伝えられていますが、不明です。「新編武蔵風土記稿」には、延宝五年(1677)十月に入寂した慶浄が中興開山とあります。江戸時代、板橋宿の寺として、多くの人々の信仰を集めました。明治六年、当寺の住職照秀和尚は、町の繁栄祈願のために、千葉の成田山新勝寺から不動尊の分身を勧請しました。現在も、出世不動と呼ばれて親しまれています。なお、不動通りの名称は、このお不動様に由来します。境内に鎮座する稲荷神社は、もと加賀藩下屋敷内に祀られていた三稲荷の内の一社で、明治になって陸軍造兵廠が建設された際、当寺へ遷座されました。また参道入口にある庚申塔は、寛文元年(1661)八月に造立されたもので、青面金剛像が彫られたものとしては、都内最古です。昭和五八年度に板橋区の指定有形文化財になりました。平成十二年六月 板橋区教育委員会 (「猫のあしあと」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 巣鴨絵図」(絵図左下付近・加州(加賀藩)下屋敷の下に観明寺が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [41]貮拾壹貞」(コマ番号2/10・地図左方向に観明寺が描かれています。)
「観明寺 – Google Map 画像リンク」、「寛文の庚申塔 – Google Map 画像リンク」
カメラ北東方向が観明寺山門で、参道左に庚申塔があります。
観明寺庚申塔と案内板(Google Map 画像)
観明寺庚申塔案内板(Google Map 画像)
観明寺本堂前のカメラです。