豊敬稲荷神社(上板橋宿案内板)

マーカーは豊敬稲荷神社です。

豊敬稲荷神社

上板橋宿
[豊敬稲荷神社の案内板に、「この旧道は江戸時代から明治初年にかけ川越と江戸を結ぶ主要な街道で川越街道又は脇往還とも呼ばれていた。弥生町一帯は当時伝馬役を負担していたため上板橋宿といい、宿内は三宿に分かれていた。伝馬とは街道の貨客を運ぶ際宿から人夫や馬を提供するもので、江戸から上板橋また次の宿下練馬村までが上板橋宿の負担であった」と書かれている。  (「豊敬稲荷神社 – 人力(じんりき)」より)]

[上板橋村(かみいたばしむら)は、かつて武蔵国豊島郡、後に東京府北豊島郡に存在した村の一つ。江戸時代初期に誕生した。歴史的な板橋のうち、西側の部分に相当する。
板橋の地名はすでに平安時代には存在しており、江戸時代初期に上板橋村と下板橋村に分割された。
江戸時代となると大半が江戸幕府天領となり、野方領に属した。川越街道(川越・児玉往還)の宿場町としては「上板橋宿」と呼ばれていたが、下板橋宿と異なり正式な村名は「上板橋村」であった。江戸側から下宿、中宿、上宿に分かれていたが、規模としては小さなもので、問屋場本陣などは設置されず、名主屋敷がその代わりを果たしていた。  (wikipedia・上板橋村より)]

豊敬稲荷神社 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向が豊敬稲荷神社で、境内左側に上板橋宿の案内板があります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*