マーカーは赤塚氷川神社です。
赤塚氷川神社
[長禄元年(1457)に、赤塚城主千葉自胤が武蔵国一宮氷川神社より分霊を勧請してここに祀ったもので、上赤塚村の鎮守。長い参道にはけやきの古木が並び、どこか武蔵野の面影が感じられます。 (「赤塚氷川神社 | 神社・仏閣 | 見どころ検索|ぶらり板橋|板橋区観光協会」より)]
[御祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)と藤原広嗣命(ふじわらひろつぐのみこと)。一の鳥居から続く約200mの参道には、欅の大木や桜、銀杏の木々が立ち並びます。二の鳥居脇には明治初年に造られた富士塚があり、塚を登ると赤塚の高台からの眺望が開けます。また境内本社西側には木曽御嶽塚があり、参道並木・富士塚と共に板橋区の文化財に指定されています。 (「赤塚氷川神社|見る|ぶらり板橋 板橋区観光協会」より)]
[赤塚氷川神社木曽御嶽塚(あかつかひかわじんじゃ きそおんたけづか)
曽御嶽塚は麓から山頂にかけて、御嶽山に関わる祭神などの石碑が配された人造物で、富士塚と同様、江戸時代後期以降に庶民が木曽御嶽を登拝するため組織された信仰団体である木曽御嶽講中によって造られたと考えられます。
赤塚氷川神社の御嶽塚は、御嶽信仰の行者、一山行者のもとに組織された赤塚一山講によって築造された塚です。なお、明治16年(1883)作成の「氷川神社祭礼絵馬」には、氷川神社境内にある富士塚とともにこの木曽御嶽塚が描かれており、19世紀には造成されていたことがわかります。なお、塚に建てられている「御嶽山座王権現」碑は、元治元年(1864)に氏子によって奉納された碑で、区内最古の御嶽山関連の碑です。
当木曽御嶽塚は、赤塚村の鎮守である氷川神社の境内地にあり、当該地域と周辺地域における木曽御嶽登拝講の活動状況や地域の歴史、信仰、民俗、風習などの実態について考察を行う上で貴重な史跡です。
赤塚氷川神社木曽御嶽塚・画像リンク (「赤塚氷川神社木曽御嶽塚 | 板橋区」より)]
「上赤塚氷川神社|板橋区赤塚の神社、赤塚城主千葉介自胤 … – 猫の足あと」
カメラ北北東方向が赤塚氷川神社です。
赤塚氷川神社拝殿前のカメラです。