音無川、音無川堰たい跡(音無親水公園)

マーカーは音無親水公園です。

音無川(石神井用水)[音無親水公園]
[音無親水公園は、小平市の東部を源にして隅田川に注ぐ石神井川の旧流路に整備された公園です。石神井川は、北区付近では“音無川”と呼ばれ親しまれ、古くからの春の桜・夏の青楓と滝あび・秋の紅葉など四季の行楽の名所、景勝の地でした。しかしながら、第二次世界大戦後の経済の復興・発展とともに石神井川も生活排水などで汚れた川となり、洪水による被害を防ぐ目的で、昭和30年代から始まった改修工事によって緑の岸辺は厚いコンクリートの下へと消え、典型的な都市河川となりました。この改修工事で、飛鳥山公園の下に2本のトンネルを掘り、石神井川流路のショートカットが行われ、残された旧流路に、「かつての渓流を取り戻したい」として音無親水公園ができました。  (「音無親水公園|東京都北区」より)]

[石神井川は、小平市・西東京市では「悪水」、西東京市・練馬区の一部では「大川」、練馬区・板橋区では「石神井川」、北区で「音無川」「王子川」「滝野川」と呼ばれていた。「滝野川」という別称は北区滝野川の地名にも残っており、近藤勇の墓所がある。かつて、この地域の石神井川が「滝の様に勢いよく川の流れが激しかった」ことに由来する。  (wikipedia・石神井川より)]

[王子は当初、岸村と呼ばれていたが、紀伊熊野から若一王子にゃくいちおうじ社を勧請して、王子権現社が創建されたことから、王子村となった。王子稲荷、飛鳥山があることから行楽の地として賑わい、扇屋、海老屋といった有名料亭もあった。滝野川はこの付近での石神井川の別名。蛇行し、渓谷があり、流れも急なことから、滝のような川、滝野川と呼ばれるようになった。渓谷の滝や紅葉など、景勝の地として有名であった。  (「歌川 広重 初代 | 錦絵でたのしむ江戸の名所 – 国立国会図書館」-「王子・滝野川 (おうじ・たきのがわ)」より)]

小さい公園 音無親水公園の桜 満開です – フォートラベル

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [41]貮拾壹貞」(コマ番号7・絵図中央下に石神井川及び堰が描かれています。)

江戸名所圖會. 卷之1-7 / 齋藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 畫圖」・「音無川」(15-20)
音無川(拡大図)

江戸遊覧花暦. 巻之1-4 / 岡山鳥 編輯 ; [長谷川雪旦] [画]」・「瀧野川解説-1・左ページ左から3行目より」(3-10)、「瀧野川・瀧野川解説-2は左ページ4行目まで」(3-11)
瀧野川(拡大図)

絵本江戸土産 – 王子 滝の川(拡大図)

絵本江戸土産 – 音無川の堰世俗大滝と謂(拡大図)

(名所江戸百景・ 王子音無川堰棣ファイル:100_views_edo_019.jpg)

音無親水公園 – Google Map 画像リンク

カメラは音無橋南東詰で、カメラ西方向が音無親水公園口のストリートビューです。

音無親水公園のストリートビューです。

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