与楽寺

マーカーは与楽寺です。

与楽寺
[真言宗豊山派の与楽寺は、宝珠山地蔵院と号し、寺伝によると、弘法大師(空海)が寺院をこの地に建立したのが始まりです。慶安元年(1648)20石の朱印を賜り、仁和寺の関東末寺の取締役寺を務めていました。江戸六阿弥陀4番、御府内八十八ヶ所霊場56番札所、豊島八十八ヶ所霊場56番札所、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場21番札所です。  (「猫のあしあと」より)]

賊除地蔵尊の伝承地
[与楽寺は、江戸時代には二十石の朱印高を拝領する寺院で、境内には、四面に仏を浮彫(うきぼり)にした南北朝時代の石の仏塔(ぶっとう)があります。また、阿弥陀如来(あみだにょらい)は女人成仏(にょにんじょうぶつ)の本尊として広く信仰を集め、六阿弥陀参詣(さんけい)の第四番札所(ふだしょ)ともなっています。本尊の地蔵菩薩は秘仏(ひぶつ)と なっていますが、次のような伝承がありました。
「ある夜、盗賊が与楽寺に押し入ろうとしましたが、どこからとも なく、多数の僧侶が出て来て盗賊の侵入を防ぎ、遂に、これを追い返してしまいました。翌朝、本尊の地蔵菩薩の足に、泥のついているのが発見され、地蔵菩薩が僧侶となって盗賊を追い出したのだと 信じられるようになりました。これより本尊の地蔵菩薩は、賊除(ぞくよけ)地蔵と称されるようになりました。」
 これが与楽寺の賊除地蔵伝説です。釈迦入滅(にゅうめつ)してから56億7000万年後に弥勒(みろく)が現れるまでの間は、人々を救済する仏が存在しない時代とされますが、地蔵菩薩は、この時代に、みずからの悟り を求め、同時に地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人間(にんげん)・(てん)という六道(ろくどう)の迷界に苦しむ人々を救うと信じられてきました。
 江戸時代になると地蔵菩薩は、人々の全ての願望を叶える仏として信仰されるようになり、泥足(どろあし)地蔵・子育(こそだて)地蔵・田植(たうえ)地蔵・延命(えんめい)地 蔵・刺抜(とげぬき)地蔵というように各種の地蔵伝説が生み出されました。与楽寺の賊除地蔵も、これらの地蔵伝説の一つとして人々の救済願望に支えられて生み出されたものといえます。  北区教育委員会  (「文化財説明板 賊除地蔵尊の伝承地 || 北区の歴史と文化財」より)] 

与楽寺(與楽寺) – Google Map 画像リンク

カメラ東方向が与楽寺参道です。

与楽寺本堂前のカメラです。

与楽寺資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [35]貮拾壹亨」(コマ番号7/7・地図中央に與楽寺が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 根岸谷中辺絵図」(絵中央付近に道灌山、佐竹右京太夫下屋敷が描かれ、道灌山の左側に與樂寺 六アミダ四番と描かれています。)

「東都歳事記」・彼岸六阿弥陀詣.jpg(絵に上野・寛永寺、大川橋[吾妻橋]、六阿弥陀第四番の寺・与楽寺が描かれている。)

東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「彼岸六阿弥陀詣」(2-6)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「六阿弥陀詣図」(17-22)

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