マーカーは大龍寺です。
大龍寺
[真言宗霊雲寺派の大龍寺は、古くは不動院浄仙寺と号し慶長年間(1596-1615)に創建されました。天明年間(1781-1789)に観鏡光顕が中興し、大龍寺と改称しました。別名子規寺とも呼ばれ、俳人正岡子規の墓や、講道館四天王の一人横山作次郎の墓があります。豊島八十八ヶ所霊場21番札所です。 (「猫のあしあと」より)]
[大龍寺の創建は明らかではありませんが、 慶長年間(1596-1615)に不動院浄仙寺が荒廃していたのを、天明年間(1781-1789)になって 湯島霊雲寺光海の高足光顕が中興して、大龍寺と改称したと伝えられています。本堂わきの墓地には、俳人・正岡子規、宮廷音楽家・E・H・ハウス、陶芸家・板谷波山、柔道の横山作次郎などの著名人が永遠の眠りについています。正岡子規は、「静かな寺に葬って欲しい」と、日頃から弟子に話しており、武蔵野台地の端にあり、林に囲まれて静かなこの寺が選ばれたそうです。お墓は大きくはありませんが、横に自撰の碑文があり、松山藩士の子であることや、 陸羯南の日本新聞から貰っていた月給が三十円であったことまで書かれています。 竹ノ里人の号に因んで植えたのか、墓の後ろには竹が茂っています。 (大龍寺 | 東京都北区観光協会 – 北区観光ホームページより)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [35]貮拾壹亨」(コマ番号6/7・地図中央上方向に大龍寺が描かれています。)
カメラ北東方向が大龍寺です。