嶺玄寺

マーカーは嶺玄寺です。

嶺玄寺
[日蓮宗の領玄寺は、日長山と号します。創建年代は不詳ですが、谷中感應寺(現天王寺)9世領玄院日長聖人が中興しました。 (「猫のあしあと」より)]

領玄寺貝塚(りょうげんじかいづか)
[谷中四丁目三番 領玄寺
 貝塚とは、縄文時代の人々が食用の貝殻をはじめ、土器や石器を投棄した場所をいう。領玄寺境内の墓地や本堂裏手は、縄文時代中期(紀元前3000年~2000年ころ)の小規模な貝塚が点々と散在し、「貝-ハマグリ・アサリ等、十二種類の貝」「土器-勝坂式・加曽利E式(中期後半)・堀之内式(後期前半)等の縄文土器」「石器-打製石斧、・石鏃・石錘等」などの遺物が発見されている。
 領玄寺貝塚は上野台地の西端に立地し、北方には同時期の延命院貝塚が見られ、現在のJR線路に沿っては天王寺貝塚(谷中霊園内)や新坂貝塚(鴬谷駅南口付近)などの貝塚遺跡が分布する。かつて、上野台地は西側に旧石神井川(藍染川)の流れる谷があり、東には海岸線が広がっていて、漁撈生活を営む縄文時代人には住みやすい土地であった。  (「谷中・領玄寺貝塚(平成7年には説明板)」より)]

[台地の西側、谷中領玄寺を中心に不忍池の谷(根津谷)の東縁に広がる縄文時代中期の貝塚です。ハマグリ・アサリ等の貝殻、石斧せきふ・石鏃せきぞく(石製矢じり)等の石器、縄文土器などの遺物が発見されています。この谷沿いには北に延命院貝塚(荒川区)、対岸には動坂どうざか遺跡(文京区)の貝塚などが分布しています。平成7年には説明板を設置しました。  (「領玄寺貝塚 – 台東区」より)]

「東都歳事記」・谷中嶺玄寺会式桜.jpg

東都歳事記. 巻之1-4,附録 / 斎藤月岑 編纂 ; 長谷川雪旦 図画 ; 松斎雪堤 補画」・「谷中嶺玄寺会式桜」(5-6)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図右下・三浦備後守下屋敷の下に嶺玄寺が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [33]貮拾壹元」(コマ番号4/7・地図左上三浦志摩守下屋敷の左下方向に嶺玄寺年貢地が描かれています。)

領玄寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が嶺玄寺山門です。