延壽寺

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マーカーは延壽寺です。

延壽寺
[明暦2(1656)年、第4代将軍徳川家綱の時代。延壽寺は覚性院日勤(かくしょういんにちごん)上人によって開かれました。開創当初は大乗山延壽院と呼ばれ、同じく谷中にある瑞輪寺との本末関係にありましたが、それもその後解消され、宝永年間(1704年 – 1710年)に身延山久遠寺の直末となります。やがて宝暦5(1755)年に延壽寺と名を改め、その際に身延山山本坊より日荷上人尊像を勧請しました。尊像は現在も、日荷堂に安置されており、毎月1日と10日にご開帳しております。
延壽寺は、度重なる天災に見舞われ、その都度再建されました。明治維新には、上野山で繰り広げられた彰義隊官軍の戦火(上野戦争)により、山門を残して全ての堂宇を消失してしまいます。本堂、庫裡、そして日荷堂の仮堂が再建されたのはその後、明治9(1876)年になってからのこと。仮堂であった日荷堂が新しく再建されたのは、それからさらに35年度の明治44(1911)年になってからでした。度重なる改修こそ行われたものの、その後は大きな被害を受けることもなく、現在佇む堂宇の姿は明治の時代の名残を見せます。  (「【延壽寺】ホーム > 延壽寺について」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 根岸谷中辺絵図」(絵図右端の中程に三浦志摩守下屋敷が、その右に「ミウラサカ」が描かれています。「ミウラサカ」の上突き当り手前右に「延寿寺」が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図右下方向に三浦志摩守下屋敷が描かれ、その左に「ミウラサカ」が描かれています。「ミウラサカ」の下突き当り手前左に「延寿寺」が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [33]貮拾壹元」(コマ番号4/7・地図左上三浦志摩守下屋敷の左下方向に延壽寺が描かれています。)

カメラ南方向が延壽寺山門です。

カメラ西北西方向が延壽寺日荷堂です。

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