建物保全活用(市田邸)

マーカーは市田邸です。

建物保全活用(市田邸)
[江戸時代、上野桜木には寛永寺の子院が建ち並んでいましたが、 明治の中頃から土地の分譲を始め、芸術家や文化人が住まいを構える屋敷町となっていきました。 市田邸は、明治40年、当時日本橋で布問屋を営んでいた初代市田善兵衛によって建てられました。 戦後は市田家の長女である春子さんの元、東京芸術大学音楽部声楽科を中心とした学生が下宿し、 30名程がこの家から巣立っていきました。
平成13年、地域や東京芸術大学の有志が集まり、 市田邸を借り受けることを機にNPOたいとう歴史都市研究会を立ち上げ、 市田家と定期借家契約をして活用を始めました。 以来、若い世代がシェア居住をしながら日常の維持管理をし、 1階座敷を芸術文化活動の拠点として活用を行っています。
現在は木造2階建ですが、当初は平屋の建物でした。大正期に家族が増えたため、 平屋当時の桁に床梁をのせ2階を増築した「おかぐら形式」です。 南側の庭に面して縁側・座敷の接客空間、北側に居間・台所・水廻り・女中部屋などの日常空間が配置されています。 1階8畳の客間は、栂(つが)四方柾を使用し、長押を用いず、 床は「花月床」とするなど数奇屋風の意匠です。木骨レンガ造の蔵は、仏間として使用されていました。
平成13年、市田家ご家族の多大なご協力をえて修理工事を行いました。 木造軸組の不陸と建具調整、瓦のずれ直し、畳の表替え等は地元工務店にお願いし、 障子や襖の張替え、下屋トタンの錆止め塗替え等は、シェア居住者を中心に有志で修繕活動を重ねています。 また、明治期の商売記録の整理を地域他団体協力のもと行っています。  (「市田邸 – たいとう歴史都市研究会」より)]

国登録有形文化財造物市田邸 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が市田邸正門です。