手取橋跡(藍染川跡)

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マーカーは藍染川分流点です。

手取橋跡(藍染川跡)
[手取橋/言問通りとの交差地点。はじめ丸太の小橋で手を取らないと渡れなかったから。イヤ遊郭にちなむものとも。のちに石橋。二間×三間。
下流
五人の侍(森宗兵衛、岡田将監、内藤加賀守、松平藤九郎、秋之但馬守)が住んでいた通称五人堀を抜け、一つは不忍池へそのまま注ぎ、あと東流、西流の二つ の流れが池の周りを流れ、また合流する。この合流点を「どんどん」という。そして三橋をくぐり、忍川となって三味線堀(昔姫ヶ池)へ、また鳥越川となって 隅田川へ注ぐ。   (「谷根千3号 藍染川すとりーと・らいふ 全文掲載 – 谷根千ねっと」より)]

[言問通りとの交差点にあったのが手取橋、「板橋 幅弐間程、渡壱丈七尺程 右藍染川に相掛、根津御組屋敷の方え渡候」(「御府内備考」)と、善光寺前町の項で書いている橋と思われます。
 ●言問通りと交差  左手が善光寺坂。青山百人町の善光寺が以前、当地にあったことからのネーミングで、その坂下が善光寺前町でした。  (「神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!: 言問通り」より)]

[不忍通り裏の分流跡を不忍池に向かいます。100mほど東を並行する本流との間には、上野国館林藩6万石秋元家下屋敷や、火消し役岡田将監など、4人の1~5千石クラスの旗本屋敷が並んでいたところで、その人数から五人堀と通称されたと、地域雑誌の草分け「谷中根津千駄木」の藍染川特集は書いています。  (「神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!: 合流・不忍池」より)]

[言問通りを越えた善光寺坂下、手取橋跡に戻り、藍染川本流跡を不忍池に向かいます。藍染川を水源から追ってきた中で、もっとも水路跡らしい路地に、最後の最後に出会ったわけですが、この狭さから考えると、五人堀のほうを主水路とする付替えが、やはりあったということでしょう。  (「神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!: 合流・不忍池②」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図右下・天眼寺上に手取橋、藍染川本流が描かれています。本流の上方向・森宗兵エから秋元但馬守下屋敷までの水路が「神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!」で記述されている五人堀のようです。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 池之端并谷中. [1]」(コマ番号5/5・絵図中央天眼寺左下の藍染川に架かる板橋が手取橋です。4/5・藍染川は秋元但馬守下屋敷地東で折れ不忍池縁を流れています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [33]貮拾壹元」(コマ番号3/7・地図右下隅付近、天眼寺年貢地右上に手取橋及び分水が描かれています。本流は真直ぐ不忍池を目指しています。)

カメラ位置は手取橋跡付近で、藍染川はこの地点付近で分流して、カメラ南東方向に藍染川本流が、カメラ南西方向に分流が流れていた。

   
カメラ位置は東京都台東区池之端4丁目12-5地先で、カメラ東南東方向・小路に藍染川本流が流れていた。

カメラ位置は東京都台東区池之端3丁目1地先で、江戸時代の秋元但馬守下屋敷地東端になると思われます。カメラ北向小路から藍染川本流が流れ、この付近でカメラ西方向・現在の台東区・文京区境界を流れていたものと思われます。

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