法光寺

マーカーは法光寺です。

法光寺
[法光寺(ほうこうじ)は、東京都荒川区日暮里富士見坂下にある法華宗陣門流の寺院。山号は日照山で新潟県三条市本成寺が総本山。
慶安3年(1650年)(年代には1620年代説など諸説あり)現在の港区赤坂に開基。開基檀越は遠縁に西郷隆盛もいる西郷正員。しかし、その西郷家は明治維新後渡米したきり音信不通。現在でも、同寺では西郷家代々の墓もあることから、西郷家からの連絡を待っている。 その後御用地となったために新宿区四谷坂町へ移転。さらに明治時代に現在の日暮里富士見坂下へ移転。この移転は当時の住職が私財を投じたものだった。JR日暮里駅西日暮里駅の中間に位置する富士見坂の下にあるため、通称富士見坂法光寺、もしくは富士見坂下法光寺など。近くには「花見寺」「月見寺」「雪見寺」と呼ばれる寺院があり、法光寺のことを「富士見寺」と呼ぶ人も存在する。住職は現職で29代目。 前住職竹嶋日香聖人は総本山本成寺へ昇山し、法華宗陣門流管長をつとめた。法光寺はじまって以来の快挙である。現在は万人永代供養塔・新規墓地の割譲・ペット供養塔によって、遺骨の処遇に困っているひとびとに救いの手を差し伸べる運動を行っている。
少年飛行兵慰霊碑
門前に第二次世界大戦少年飛行兵慰霊碑が存在。(昭和44年3月21日建立)慰霊碑横に「ノモンハン事変以来終戦に至るまで陸軍少年飛行兵として戦野に赴きし者四萬五千にして空陸海に散華せし者数うるに限り無し 依って生存者遺族有志相い集いて慰霊の誠を捧げんとして是を建立す 行き交う人々心あらば一遍の回向を賜らんことを」との記載がある。この少年飛行兵慰霊碑は当時の住職が軍隊に従事したことが由縁で建立された。  (wikipedia・法光寺_(荒川区)より)]

法光寺 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が法光寺山門で、山門左に少年飛行兵慰霊碑があります。

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