瑞輪寺

マーカーは瑞輪寺です。

瑞輪寺
[瑞輪寺(ずいりんじ)は、東京都台東区谷中4-2-5にある日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は慈雲山。
沿革
天正19年-日本橋馬喰町に瑞輪寺が創建される。
慶長6年(1602)-神田に移転。
慶安2年(1649)-現在地に移転。
明治元年(1868)-上野戦争により全山焼失。以降再建を図る。
●平成18年(2006)4月-中本山から本山(由緒寺院)に昇格
●塔頭として浄延院、躰仙院、正行院、久成院、本妙院がある。
江戸十大祖師の一つとして、除厄・安産飯匙の祖師と称される。
江戸時代身延山久遠寺の江戸触頭であった。  (wikipedia・瑞輪寺より)]

[日蓮宗寺院の瑞輪寺は、慈雲山と号します。天正19年(1591)、慈雲院日新上人が身延山の江戸宿寺として開山しました。元禄年中には、不受不施派の弾圧により、天台宗へと改宗させられた感應寺(現天王寺)から、江戸十祖師の一つである安産飯匙の祖師を移しています。その後慶安2年(1649)当地へ移転し、現在に至ります。江戸期には、身延山久遠寺末触頭で、善立寺、宗延寺と並び日蓮宗(旧法華宗)江戸三大触頭の一つに連なる名刹です。
大久保主水墓
名は忠行、または藤五郎と称す。三河国の武士で、徳川家康に仕え三百石を給されていた。一向一揆のときに足を負傷してから戦列に加われず、餅菓子を作る特技を生かし、以後、家康に菓子を献じたという。
天正18年(1590)家康は江戸に入り町づくりを始める。用水事業を命ぜられた忠行は、武蔵野最大の湧水地である井の頭池善福寺池を源に、それぞれの池から流れる河流を利用して、江戸城ならびに市中の引水に成功した。これを神田上水といい、江戸の水道の始まりであり、また我が国水道のさきがけであった。
この功により、家康から「主水」の名を賜り、水は濁らざるを尊しとして「モント」と読むべしと言ったという。以来、子孫は代々主水と称し、幕府用達の菓子司を勤めた。なお、墓の近くにある八角形の井戸は、天保6年(1835)十代名忠記が、忠行の業績を顕彰したものである。元和3年(1617)没。  (「猫のあしあと – 瑞輪寺」より)]

大久保主水忠記の井戸 台東区ホームページ

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図右下・蒔田左エ門左下に瑞輪寺が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [33]貮拾壹元」(コマ番号4/7・地図左下隅の天王寺上方向に瑞輪寺が描かれています。)

瑞輪寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が瑞輪寺山門です。

カメラ北方向が瑞輪寺本堂です。

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