マーカーは笹乃雪です。
※新店舗 – 子規庵の東隣、東京都台東区根岸2丁目5−12で営業再開
笹乃雪
[「笹乃雪」の名の起り
笹乃雪初代玉屋忠兵衛が絹ごし豆富を発明。元禄四年(約三百二十年前)上野の宮様(百十一代後西天皇の親王)のお供をして京より江戸に移り、江戸で初めて絹ごし豆富を作り根岸に豆富茶屋を開いたのが当店の始まりです。宮様は当店の豆富をことのほか好まれ「笹の上に積もりし雪の如き美しさよ」と賞賛され、「笹乃雪」と名づけ、それを屋号といたしました。その時賜りました看板は今も店内に掲げてございます。 (「笹乃雪・いわれ」より)]
[恋人は赤穂浪士
本日は、当店の伝説ともなっている切ない恋のお話をいたしましょう。時は元禄15年12月14日。ご存知、赤穂浪士の討ち入りがございました。主君の仇討ちを果たした浪士たちは4カ所の大名屋敷にお預けとなったのですが、そのうち大石内蔵助以下17人が預けられた細川様のお屋敷に、当店の豆富が届けられました。上野輪王寺の宮、公弁法親王様のお心遣いです。当店は、初代玉屋忠兵衛が親王様について京都から江戸へ移ってきたという縁があり、こうしたお使いも珍しいことではなかったのですが、この時届けられた豆富には、別の思いも込められていました。実は、娘のお静が細川家お預けの赤穂浪士の一人、磯貝十郎左衛門に心を寄せていたのです。
最初の出会いは、お静が雪道で足をとられ滑りそうになったのを十郎左衛門が助けた時。そして、十郎左衛門が俳人の宝井其角に連れられて来店したことで2人は再会します。その後も十郎左衛門はたびたび来店したようですが、もちろん本当の名前も身分も明かすことはありませんでした。赤穂浪士たちのその後は、ご承知のとおりですから、この話に楽しい続きはありません。第一、この恋が片思いだったのか、両思いだったのかも不明。いずれにしても、凛として白いお豆富のように、おぼろで淡いお話です。 (「笹乃雪・いわれ」より)]