マーカーは経王寺です。
経王寺
[日蓮宗寺院の経王寺は、大黒山と号します。要詮院日慶が開山、当地の豪農冠勝平(新堀村の名主冠権四郎家の祖)が開基となり、明暦元年(1655)当地に創建しました。本堂の隣の大黒堂には日蓮上人の作と伝えられる大黒天が鎮守として祀られています。
『経王寺山門
日蓮宗大黒山経王寺は、山梨県の身延山久遠寺末寺で、明暦元年(1655)の開創です。この山門の建立年代は不明ですが、江戸時代末期には既にあったようです。明治初年、旧江戸幕府の家臣による彰義隊と新政府軍との上野戦争の際に、逃走した彰義隊戦士の一部が経王寺にかくれたために同寺は新政府軍に包囲されてしまいました。この山門には新政府軍が発砲した銃弾の痕が残っており、明治維新の動乱を物語っています。また、この門は右側に門番所が併置されていて、さらに築地塀に連なっており、木造建築の門の一つの型を示す貴重なものです。(荒川区の文化財より)』 (「猫のあしあと」より)]
[明暦元年(1655)創建の日蓮宗の寺院で大黒山と号し、境内の大黒堂には日蓮上人作という大黒天が祀られています。旧谷中七福神のひとつです。慶応4年(1868)の上野戦争に敗れた彰義隊士がここへ隠れたため、新政府の攻撃を受けました。天保7年(1836)建立の山門には銃撃を受けた弾痕が今も残り、当時の激しさを今に伝えています。
画像リンク(経王寺山門(全景)、経王寺山門(弾痕)) (荒川区ホームページ – 経王寺(きょうおうじ)より)]
資料リンク
「江戸名所圖會. 卷之1-7 / 齋藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 畫圖」・「日暮里惣図其之二」(14-47)
日暮里惣図其之二(拡大図)
[其之二は見開きで、右ページ上から「経王寺」「七面宮」「長相寺」「宗林寺」が描かれ、左ページ上から「百観音」「養福寺」「人丸社」「南泉寺」が描かれています。「七面宮」が延命院で、「百観音」は養福寺です。また、「長相寺」は「長明寺」ではないかと思います。]
カメラ北方向が経王寺山門です。
経王寺本堂前のカメラです。