臨江寺

マーカーは臨江寺です。

臨江寺
[臨済宗大徳寺派寺院の臨江寺は、龍興山と号します。臨江寺は、圭山宗撲が寛永7年(1630年)頃下谷池之端に臨江庵として創建、延宝9年(1681年)当地へ移転したといいます。
蒲生君平墓
蒲生君平は、明和5年(1768年)下野国宇都宮の商家に生まれる。通称伊三郎、字を君威または君平、修静または修静庵と号した。姓は福田といったが、先祖は豊臣秀吉の武将蒲生氏郷の流れであることを知り、蒲生と名乗ったという。高山彦九郎林子平と共に寛政三奇人の一人と称せられている。
幼児から学問に励み、長じて水戸藩藤田幽谷を知り、節義と憂国の感化を受けた。寛政(1789年 – 1800年)の末期、諸国の天皇陵を歩き、享和元年(1801年)「山陵志」を完成させた。これは、幕末尊王論の先駆をなすものとして名高い。
後、江戸に出て著述に専念し、文化10年(1813年)に没した「蒲生君威墓表」と題した墓石には四面にわたって藤田幽谷の撰文を刻む。昭和17年国史跡に指定された。
山門にある「勅旌忠節蒲生君平」の石柱は明治初年政府が建立したものである。(台東区教育委員会掲示より)  (「猫のあしあと – 臨江寺|台東区谷中にある臨済宗大徳寺派寺院」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図」(絵図右下方向に三浦志摩守下屋敷が描かれ、その左に「小役人」が、その左に臨江寺が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [33]貮拾壹元」(コマ番号4/7・地図左上方向に臨江寺が描かれています。)

カメラ北東方向が臨江寺山門です。

臨江寺本堂前のカメラです。

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