楊洲周延の『千代田之御表』画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」 – 「千代田之御表」から画像ダウンロードし、修正して使用しています。
『千代田之御表』 目ろく(拡大画像)
[絵師 – 楊洲周延図画
出版地 – 東京
版元 – 日本橋区長谷川町十九番地 福田初次郎
出版年 – 明治30(1897)
画中文字 上野御成 -御謡初 -御大礼之節町人御能拝見 -正月元日諸矦登城御玄関前之図 -正月元日諸矦登城桔梗下馬 -芝増上寺御成之図 -御射場始 -鶴御成 -武術上覧 -御鏡開 -犬追物 -大川筋御成 -御流れ -将軍宣下 -将軍宣下祝賀之為メ諸矦大礼行烈之図 -小金原鹿狩立場之図、小金原鹿狩之図 -松戸宿船橋 -小金原鹿狩引揚之図 -打毬上覧之図 -六月十六日嘉祥 -山王祭礼上覧 -於吹上公事上聴之図 -濵御成 -玄猪諸矦登城大手下馬 -蹴鞠 -馬揃 -狼煙上覧 -流鏑馬上覧 -日光御社参 -日光御社参大祭之図 -日光御社参神橋 (「「千代田之御表」「目録」」より。)]
[将軍宣下(せんげ)は徳川宗家の当主が征夷大将軍に任命される儀式で、江戸幕府の礼典の中でも最も重要なものでした。三代将軍の徳川家光までは上洛して行われていましたが、四代将軍家綱以降は、江戸城に勅使を迎えて儀式が執り行われました。大名は、この日のために槍や挟箱(はさみばこ)を初めとする道具を新調し、普段よりも供連れの人数を増やしたそうです。
将軍は、黒書院で装束を整え、白書院で御三家や上位の大名の挨拶を受けた後、大広間で勅使・院使によって届けられた宣旨を披見・拝礼しました。式後、諸大名・旗本と対面しましたが、大名たちは頭を上げてその姿を見ることはできず、老中が代表して祝賀の意を伝えるのみでした。
こうして征夷大将軍は、軍事権、政治権、立法権などを掌中にしました。格式が明確化された舞台”大広間”、その大広間に家格順で平伏する大名たち、その中で、武家の最高権力者として君臨したのです。 (「10.千代田之御表 将軍宣下 – 東京都立図書館」より。)]
将軍宣下為祝賀之諸侯大礼行列ノ図
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