武蔵屋・大黒屋(大七)

[「江戸高名会亭尽」は料理茶屋を主題としているが、それぞれの店に描き方に関しては、おおざぱに見て三つの類型に分類できそうである。ひとつは、座敷や庭園など、店の内部の情景の再現にほぼ限定したものである。たとえば、 「牛嶋武蔵屋」は客が浴衣姿で寛ぐ座敷と、そこから池を擁する広い庭園の光景が描かれている。 「武蔵屋で出す弁慶の貸浴衣」の川柳が詠まれたように、武蔵屋は風呂の設備で知られていたので、客たちが一風呂浴びた後なのだろう。同様のことは、同じエリアにあった大七を描く 「向島大七(大黒屋)」 にも当てはまる。こちらは、浴衣姿で池のある庭を散策する人々の向こうに大七の母屋と離れ座敷を描いている。いずれも川魚料理で知られた武蔵屋と大七だが、両図では料理だけではなく、土地に余裕の無い江戸の市街地とは異なり、敷地の確保に余裕のある向島という立地条件を存分に生かした店のセールスポイントを巧みに視覚したものだといえる。  (「錦絵に見る料理茶屋情報:「江戸高名会亭尽」を中心に」より)]

『江戸買物独案内』画像データベース(早稲田大学)の江戸買物獨案内 上・下巻・飲食之部(飲食之部 / 内容画像9・下画右端)に武蔵屋が掲載されている。

江戸高名会亭尽(歌川広重) – 牛嶋 武蔵屋「狂句合 株木」(wikipedia-photo)

江戸高名会亭尽(歌川広重) – 向島 大七「狂句合 川をへたて甲子と大黒屋 株木」(wikipedia-photo)

武蔵第一名所角田河絵図竝故跡附(「東京都立図書館 – 大江戸データベース」 – 「武蔵第一名所角田河絵図竝故跡附(むさしだいいちめいしょすみだがわえずならびにこせきづけ)東京誌料 013-C1」より)

[絵地図を右に浅草観音と真乳山の間までスクロールし、そこから下方向にスクロールすると牛御前、弘福寺の下に「むさしや」、「大こく屋」と記述されています。]  

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「庵碕」(19-10)、「庵碕解説・左ページ2行目から」(19-27)
庵碕(拡大)

[図会下の道は、現在の桜橋通り、向島三丁目交差点付近で、図会中央に描かれる湿地帯は西井堀で、現在の三とも通りになると思われます。左ページの右下道路脇に井戸が描かれ、その右に「むさしや」と看板が掛けられています。また上段右ページ左端の家屋壁に「大こくや」と看板が掛けられています。]
[「俗間(ぞくかん)請地(うけち)秋葉権現(あきばごんげん)の辺(ほとり)をしか唱(とな)うとも、定(さだか)ならず」
「須崎より請地(うけち)秋葉(あきば)の近傍(あたり)までの間(あいだ)、酒肉店(りょうりや)多く、各(おのおの)*(いけす)をかまえ鯉魚(こい)を畜(かう)。酒客(しゅかく)おおく、ここに宴飲す。中にも葛西(かさい)太郎(たろう)といえるは、葛西三郎清重(きよしげ)の遠裔(えんえい)なりと云伝うれども、是非(ぜひ)をしらず。むさしやというは、昔(むかし)麦飯(むぎめし)はかりを売(うり)たりしかば、麦計(むぎはかり)と云ところにて麦斗(ばくと)と唱(となえ)たりしも、今はむさしやとのみよびて麦斗(ばくと)と号(ごう)せしをしる人まれになりぬ」  (「歴史散歩 江戸名所図会 巻之七 第十九冊」より)]