江戸の桜

「Google Earth で街並散歩(日本編)」で取り上げた場所で、桜に関する記述、ストリート画像に桜がある場所についてまとめてみました。

[花見の風習が広く庶民に広まっていったのは江戸時代といわれる。江戸で最も名高かったのが忍岡(しのぶがおか)で、天海大僧正(1536年? – 1643年)によって植えられた上野恩賜公園の桜である。しかし格式の高い寛永寺で人々が浮かれ騒ぐことは許されていなかったため、享保5年(1720年)に徳川吉宗浅草(墨田川堤)飛鳥山に桜を植えさせ、庶民の行楽を奨励した。吉宗は生類憐れみの令以降途絶えていた鷹狩を復興させた際、鷹狩が農民の田畑を荒す事への対応策として、鷹狩の場に桜の木を植えることで花見客が農民たちに収入をもたらす方策をとったとされている。江戸の城下・近郊の花見の名所は上野寛永寺、飛鳥山、隅田川堤の他にも、愛宕山玉川上水など少なからずあった。  (wikipedia・花見より)]

[江戸時代からの桜の名所は将軍や幕府によって整備されたところが多い。または有力な藩の大名庭園だったものが今日に続いているところも見られる。
皇居東御苑浜離宮恩賜庭園は、言ってみれば将軍様のプライベートガーデン。六義園は将軍側用人柳沢吉保別邸、小石川後楽園水戸徳川家の中屋敷。どちらにもシダレザクラの大樹をはじめ、江戸時代からの由緒ある庭園内にみごたえのある桜の大木が並ぶ。
新宿御苑の由来は少し複雑だ。四谷、代々木、大久保にまたがる一帯は、江戸時代には信州高遠藩の内藤氏の中屋敷であったが、江戸の大火を機に、神田の上屋敷からここに移り広大な庭園を営んだ。それがこの新宿御苑のもっとも古い起源であり、それは一部現在の苑内日本庭園の玉藻池として鑑賞することができる。
明治維新後、内藤氏の屋敷は新宿御苑となり、園芸試験場としての時期を経て、明治12年に新宿植物御苑となる。皇室の御料生産のため、蔬菜、果樹、樹木、花卉の栽培や鴨池、養魚池などが置かれた。その時期の大名庭園は荒廃していたというが、今日みごとによみがえっている。
その後、新宿御苑内には、江戸時代の玉藻園のほかに西洋庭園、日本庭園が整備されていった。明治から大正にかけて、日本の桜を再認識しようとする気運が起こった時期に、宮中の観桜会の会場は、浜離宮から新宿御苑に移った。その後、大正7年には全国の桜各品種が集められて苑内で育種事業が始められることとなった。その結果、新宿御苑は多くの品種の桜を代わる代わる楽しめるお花見の場となったのだ。
このほか将軍様が庶民のために整備した花見の場として、上野寛永寺の所領や飛鳥山などが挙げられる。封建社会でも庶民の息抜きの場を作っておかないと暴動などが起こる危険性もあるというわけで、江戸時代にはお上によって、花見の場が計画的に整備された。
現在は上野公園になった寛永寺の所領には三代将軍家光の時に、天海僧正により吉野山より桜が植樹されたというし、八代将軍吉宗によって享保の改革で1270本ものソメイヨシノを植えたという飛鳥山は、より開放的な庶民の花見の名所であった。
上野の山では山同心と呼ばれる見回り・取締役が山内の管理にあたり、暮れ六つ(午後6時頃)になると山内から人を追い出し門を閉じたという。一方、上野では歌舞音曲は禁止、飲酒はよいが肴を食べるのは禁止だったのに対し、飛鳥山は規制がゆるやかだったため、にぎわいを見せた。多くの庶民が集まることで、地面が踏み固まり、土地を整備できるという効用もあったようだ。
八代将軍吉宗の時代に植えられたという、名勝小金井桜は、今も玉川上水沿いに残るが、これは大岡越前守の命により、大和の吉野山や常陸桜川からヤマザクラの苗木を取り寄せ桜並木とした由緒あるもの。大正13年には国の名勝に指定されている。植樹の理由として、観桜により新田のにぎわいを図ること、花見に訪れる多くの人びとに踏み固めてもらい玉川上水の土の崩れを防止した、桜による水の解毒作用を目的とした、などの説がある。
小平、小金井、西東京、武蔵野の四市約6キロにまたがる玉川上水という土木工事の輝かしい先例のそばにこの歴史的な桜並木があることは感慨深い。
どうも八代将軍吉宗は江戸を桜の都にしたと言えそうだ。飛鳥山、品川御殿山、小金井堤、隅田川など、今に残る東京の桜の名所の起源は吉宗によって植えられた桜なのだ。  (「桜を植え、愛でてきた、江戸東京の伝統」より)]

[万治2年(1659)から開削された、大横川横十間川の川沿いは現在、公園として整備され都民の憩いの場となっています。大横川の江東区扇橋から仙台堀川交差付近の区間は、川沿いに桜の並木があり、開花の時期には昼夜を問わず賑わい、江東区主催の和船乗船体験に深川門前仲町付近の黒船橋から東富橋の区間が使われることがあります。横十間川は仙台堀川公園・横十間川親水公園として整備され、約5キロメートルが遊歩道で結ばれ桜並木や水辺の生物が多く見られます。
江戸時代、江戸に設けられた上水道である神田上水の関口大洗堰付近は、江戸川公園として整備され桜の名所になっています。
目黒川の水で身を清めてから目黒不動尊に詣でたとされる、目黒川の川沿いの池尻大橋から東急目黒線下の亀の甲橋(品川区)までの約4Kmにおよそ800本のソメイヨシノが植えられています。]

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