赤坂氷川神社は麻布氷川神社、渋谷氷川神社、氷川神社(簸川神社)などとともに江戸七氷川に数えられ、その筆頭とされるとされているようです、赤坂氷川神社のホームページには
[神社本庁のデータによると、「氷川」の名の付く神社は全国で261社あり、内訳は―埼玉県に162社、東京都に68社、福井県に12社、福島県に5社、茨城県・栃木県・神奈川県・山梨県・島根県にそれぞれ2社、北海道・千葉県・長崎県・鹿児島県にそれぞれ1社となっており、関東を中心に鎮座、荒川流域に多く分布しています。
『江戸七氷川神社』について
江戸府中の旧事及び江戸の古跡などを記した『望海毎談』(著者不明。成稿は元文(1736~41年)から明和(1764~72年)の間といわれています。)という書物に、以下のような記事があります―
「望海毎談に云、氷川明神、江戸の中に七所有、赤坂御門外の社、江戸にては年久し、元大宮の近くに小呂子と云所、氷川を祀りたりし社なり、此所より遷したる所なれば、赤坂の宮居を小呂子の宮と呼びたるを、誤て小六の宮といふ、素盞男尊根の國に追せられ、手摩乳足摩乳が家に入給ふ所を、日の川上といふ所なれば、日の川上といふ詞を以て氷川と呼で素盞男尊を祭りたる神なり、大貴己命は素盞男の御子なりと申より此神は此地神の祖なるを以て、氷川の神靈には相共に祠る、世人大貴己命計を祠り申と覚へたり、(―中略―) 此外今井の盛徳寺の内の氷川の社、麻布一本松の市中の社、羽根田村にて新堀近き所の社、下渋谷にて羽根田の屋敷の社、又北の方にては上水のはたなる萬年寺山の社、巣鴨の入口なる氷川の社頭は坂より上へ見上ぐる所にして、いとかうかうしく何も氏子多く賑ふなり」
●赤坂御門外 – 当神社遷座前のお社のことです。
●今井の盛徳寺 – 元氷川坂(現:本氷川坂)の盛徳寺(現:神奈川県伊勢原市)の敷地内にあり、当神社に勧請されました。
●麻布一本松 – 現在の麻布氷川神社のことです。天慶5(938)年源経基東征の時、麻布一本松付近に勧請しました。文明年間太田道灌ともいわれます。万治2(1659)年、芝増上寺の隠居地になるに伴い、現在地に遷座しました。麻布の総鎮守のお社です。
●羽根田村 – (調査中)
●下渋谷 – 現在の渋谷氷川神社のことです。明治22年以前、渋谷村は上渋谷・中渋谷・下渋谷に分かれていました。慶長十年に記された「氷川大明神豊泉寺縁起」によると景行天皇の御代の皇子日本武尊東征の時、当地に素盞鳴尊を勧請したとあります。
●萬年寺山 – (調査中)
●巣鴨の入口 – 文京区千石の簸川(ひかわ)神社のことです。もとは小石川植物園の地にありましたが、承応元(1652)年に、徳川綱吉の白山御殿が造営されることになり、同じ地にあった白山神社と共に移転しました。簸川神社が現在地に移ったのは元禄12(1699)年です。]
とあり羽根田村と萬年寺山の氷川神社は不明となっていました。東京都には68社があるとのことですが「Google Earth で街並散歩(日本編)」ではその半分程の37社の掲載ですが氷川神社についてまとめてみました。
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