マーカーは上千葉香取神社です。
「国立公文書館 デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図 – 葛西筋御場絵図」(絵図は東が上になっていますので、北を上にすると見やすくなります。絵図を北向きにして、中央左方向・千葉と水戸街道の間に香取神社があります。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、千葉神社と描かれています。
上千葉香取神社
[香取神社は、葛飾区堀切にある神社です。香取神社の創建年代等は不詳ながら、当地を領有していた葛西氏または千葉氏が、中世に勧請したのではないかといいます。江戸期には旧上千葉村の鎮守となっており、明治維新後、地内に鎮座していた天祖神社、伊奈地神社を合祀しています。
●葛飾区教育委員会 葛飾区神社調査報告
「新編武蔵風土記稿」上千葉村の条に「香取社 村ノ鎮守ナリ。普賢寺。…末社 天神 弁天」とあり、起立の年代に触れていないが、普賢寺(東堀切3丁目)の山門天井板銘に「当所香取社者、再建宝徳3年9月建之。古城内惣鎮守也」の記事を見る。当地区は中世、千葉氏一族の領地であり、付近には古城址と思われる地名が残っているので、当社は葛西氏または千葉氏が下総国香取神宮を勧請したものと推測される。社号は明治5年社格制定の時、<千葉神社>と改めたが、昭和32年4月旧名に復して香取神社と称することになった。「東京府志料」上千葉村之条には、
「千葉神社 村ノ鎮守ナリ。香取・北野二社ヲ合社ス。一新後、千葉社ト云。社地540坪。天祖神社 モト神明社ト云。一新後、社号改マル。社地60坪。稲荷神社 二座 一ハモト三十番神ト云。一新後社号改マル。社地40坪。一は社地136坪」
とあるが、この天祖神社および稲荷神社はともに当社に合祀されている。社殿は昭和31年11月に修築され、神楽殿は昭和41年の新築である。(葛飾区教育委員会 葛飾区神社調査報告より) (「香取神社|葛飾区堀切の神社、旧上千葉村鎮守 – 猫の足あと」より)]
カメラ北西方向が上千葉香取神社参道口です。