亀田橋跡付近の石仏群・角柱三猿浮彫道標

マーカーは亀田橋跡付近の石仏群です。

江戸御場絵図」[絵図は東西方向を軸に描かれていますので、絵図を回転して南北を軸にすると見やすくなります、南北軸にした絵図で、絵図中央・中川に、「新宿亀有渡船場」が描かれています。その右が「新宿」で、そこから水戸道中から分かれ佐倉道中が描かれています。亀田橋跡付近の石仏群・角柱三猿浮彫道標が現在設置している場所は、佐倉道中が上下之割用水(大井堀・西用水とも言う)と交差する橋(亀田坂ハシ)の左方向になると思います。]

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年の地図で、新宿町南で、水戸街道から分岐した佐倉街道が下川原で、大井堀と交差する橋が亀田橋です。

[亀田橋跡付近の石仏群。北向地蔵や石仏が並ぶ。左端が角柱三猿浮彫道標と呼ばれるもので、正面上と両側面上に仏形坐像か、三猿と思われる浮彫があるが、摩耗が著しくはっきりしない。正面に「これより右ハ 下川原村 さくら海道」、右側面に「これより左 下の割への道」と刻まれる。元禄6年(1693年)建立、葛飾区内に現存する最古の道標。  (「街道の行く先へ 葛飾・江戸川区内の成田街道 – FC2」より)]

[区指定有形民族文化財
角柱三猿浮彫道標(かくちゅうさんえんうきぼりどうひょう)
所 在 地  葛飾区高砂六丁目13番27号
指定年月日  平成6年(1994)2月22日
 元禄6年(1693)銘の、現在確認されている中では区内でもっとも古い道標です。高さ95.5cm、幅34cm、奥行23cmの角柱形で伊豆石製と推定されます。
 道標上部の正面と左右側面には、三猿と推定される浮彫が施されていますが、かなり磨耗しています。中央部正面に「これより右ハ 下河原村 左 さくら海道」、右側面に「これより左 下之割への道」、左側面に「元禄六癸酉年六月吉日」、下部には建立者の名が彫られています。
 「下河原」は、新宿町の小字の名称で、この道標が建てられた辺りを指します。「下之割」は東葛西領の南側の地域(現、江戸川区)のことで、北側の地域(現、葛飾区)は「上之割」といいます。
 さくら海道とは佐倉道のことで、千住宿奥州街道と分岐し新宿町までは、水戸道と合わせて「水戸佐倉道」と称されます。新宿町で常陸国水戸へ向かう水戸道と分岐して下総国佐倉へ向かっていました。
   葛飾区教育委員会  (「千葉寺Beach88 : 道標 – livedoor Blog」より)]

カメラ南方向が亀田橋跡付近の石仏群で、祠左端が角柱三猿浮彫道標です。