マーカーは小台の七庚申です。
小台の七庚申
[荒川の土手下に七基並んで立っている庚申塔は、もともとは別の場所にありました。現在、その場所は荒川の底に沈んでいます。
荒川は、岩淵水門(北区)より下流は水害対策のため大正初期に掘削された人工河川(荒川放水路)です。そのため、流路予定地となった宮城は70戸の内49戸が立ち退きを余儀なくされ、ここに立っていた庚申塔も荒川の底に沈む予定でした。七基の内、三基に「宮城村」と刻まれています。
しかし、宮城在住の下川亀蔵氏は、庚申塔が失われることを惜しんで現在地に移転させ、失われるはずの庚申塔を守ったのです。下川氏も立ち退きを迫られた住民の一人でした。
七基の庚申塔は、承応3年(1654)から元文元年(1736)の間に造立されたものですが、足立区の近代史を伝える文化財でもあるのです。
画像リンク (「小台の七庚申 – 足立区」より)]
カメラ南方向が小台の七庚申です。