常楽寺

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常楽寺
[常楽寺の創建年代は不詳ですが、河内与兵衛が寛永年間(1624-1643)中興開基、慶安元年寺領3石の御朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による常楽寺の縁起
これも総持寺の末なり、観林山極楽院と號す、當寺も河内輿兵衛が草創にして、寺領三石も同年に賜へりと云、本尊正観音を安す。
熊野三社(新編武蔵風土記稿より)
●足立区教育委員会掲示による常楽寺の縁起
当寺は真言宗豊山派で観林山常楽寺という古い寺で、寛永年間(1624-1643)河内与兵衛によって中興されたと伝えられている。
本尊は聖観音坐像で江戸中期のものと思われる。他に弘法大師興教大師閻魔の坐像・六地蔵文久2年(1862)の十三仏画等がある。
墓地には、足立が生んだ江戸の文人、竹塚東子の墓がある。東子は実名を谷古宇四郎左衛門といい、寛政享和文化にかけて著作活動をした文人である。
東子は山東京伝の門人で、俳諧を越ヶ谷の会田吾山に学び、狂歌・落語・活花等もよくした風流人でもあった。出世作に寛政2年(1790)刊の「田舎談義」があり、文化元年(1804)刊の「敵討名誉一文字」以降は敵討ものを主とした。文化12年(1815)11月13日没、法名は喬雲醍醐居士という。(足立区教育委員会掲示より)  (「常楽寺|足立区竹の塚にある真言宗豊山派寺院 – 猫の足あと」より)]

常楽寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が常楽寺山門です。