性翁寺

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性翁寺
[足立区教育委員会掲示による性翁寺の縁起
京都知恩院を総本山とする浄土宗の寺院。寺伝では神亀3年(726)行基菩薩が庵を開いたのが始まりで、足立荘司宮城宰相が開基となり、明応元年(1492)には正誉龍呑上人が開山となったと伝える。江戸時代にはいると阿出川対馬守貞次が中興開基となり慶安元年(1648)には三代将軍徳川家光から朱印地10石を与えられる格式を持った。
本尊の木像阿弥陀如来坐像は古代の作成で、東京都指定文化財。この本尊は悲運の女性・足立姫の菩提を弔うため行基菩薩が作成した六阿弥陀の余りの木で作られたという伝説を持つ。ここから広く女人往生の「木余り寺」として知られるようになり、多くの江戸・東京庶民の参詣地となった。
また寺内には永禄13年(1570)の阿弥陀三尊種字板碑や、当寺の由来を記した縁起があり、いずれも足立区登録有形文化財。ほかに六阿弥陀伝説を描いた絵巻きを伝来している。当寺は、このように様々な歴史と文化財に彩られた区内有数の寺院である。(足立区教育委員会掲示より)  (「猫のあしあと – 性翁寺」より)]

[昔、足立庄司宮城宰相の娘・足立姫が豊島左衛門尉清光に嫁ぎましたが、引出物が粗末とそしりを受け、里帰りの際、侍女12人とともに荒川にて身投げし、命を絶ちました。父の宮城宰相は、悲しみのあまり、諸国の霊場を巡りました。紀伊国熊野権現で一本の霊木を得、熊野灘へ流すと、国元の熊野木に流れ着きました。諸国安行行基が通りかかり霊木から6体の阿弥陀仏を彫刻し、余り木からもう一体造りました。これが、寺に伝わる木余如来こと、木像阿弥陀如来坐像です。境内には、足立姫の墓があります。
画像リンク画像リンク  (「足立区観光ネット – 性翁寺」より)]

性翁寺 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向が性翁寺総門です。

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