マーカーは恵明寺です。
「江戸御場絵図」(絵図は東西方向を軸に描かれていますので、絵図を回転して南北を軸にすると見やすくなります、南北軸にした絵図で、絵図中央・新宿亀有渡船場左上方向に、御膳所恵明寺が描かれています。)
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、亀有の左上の二つの「卍」のうち、左が恵明寺です。
恵明寺
[恵明寺は、建治2年(1276)或いは弘安元年(1278)の創建と伝えられます。延宝年間(1630-80)に法印快真が中興、元文元年(1736)以降は徳川将軍家鷹狩りの際の御膳所となっていました。明治時代には、亀有小学校の校舎として使用されていたこともあるといいます。
●葛飾区寺院調査報告による恵明寺の縁起
当寺過去帳の奥書および亀有村旧名主矢沢家文書には、弘安元年(1278)の開山、「新編武蔵風土記稿」には建治2年(1276)の起立とある。室町時代の戦乱で一時荒廃したが、延宝年間(1630-80)法印快真が再興した。元文元年(1736)10月将軍吉宗の鶴お成以来、将軍の御膳所となり、幕末に及んでいる。近年まで御成門というカヤ葺の門が残っていたという。明治17年、第11大区1小区の東巡査屯所がおかれ、また亀有小学校の校舎として使用されたこともある。現在の本堂は昭和48年の改築である。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
●新編武蔵風土記稿による恵明寺の縁起
恵明寺
新義真言宗寺嶋村蓮花寺の末、香取山明王院と号す。本尊不動の立像長2尺許興教大師の作。草創は建治2年とのみ傳へて開山の僧は詳ならず。中興快真元禄5年3月4日寂。当寺元文元年10月19日此邊放鷹の時初て御膳所を命ぜられしより今も然り。(新編武蔵風土記稿より) (「恵明寺(えみょうじ)|葛飾区亀有にある真言宗智山派寺院 – 猫の足あと」より)]
カメラ北方向が恵明寺山門です。